「みんなで支えあって頑張ることが祖父への弔い」。平成30年7月の西日本豪雨で最初の大雨特別警報が出て2年となった6日、岡山県倉敷市主催の追悼式で遺族代表としてあいさつした須増藍加(すます・あいか)さん(33)=同市。きょうだいの中で一番祖父に甘えていたといい、優しかった祖父の笑顔を思いながら、復興と防災への誓いを新たにした。
「祖父について歩いた畑や、肩車をしてもらって歩いた土手の道は、自宅とともになくなった」
豪雨災害で須増さんは祖父、清四郎さん=当時(92)=を亡くした。2年前のあの日、深夜にテレビをつけると、テロップで「氾濫注意」との表示。不安になり、清四郎さん方を訪れていた母親(61)に電話をすると、「助けが来てくれない」「別宅も流された」と悲鳴を上げた。
恐怖を訴える母親を、須増さんは夫の拓哉さん(32)とともに「がんばって」と励まし続けた。だが、やがて「ボコボコッ」と携帯電話が沈むような音が聞こえたかと思うと、電話は切れ、連絡がつかなくなった。
清四郎さん方は濁流に流された。母親は奇跡的に農家小屋に流れ着いたところを救助され、一命をとりとめたが、過去に事故で足を負傷していた清四郎さんは逃げ遅れた。「夢であってほしい」と捜索を続けたが、近くの田んぼで遺体で見つかった。
子供の頃、須増さんをよく肩車してくれたという清四郎さん。孫にあたる藍加さんの長女(3)が生まれてからは溺愛し、長女を連れて家を訪れたときは必ず、「次はいつ来るの?」と聞かれた。
あれから2年。母親にはあの日の清四郎さんの様子をまだ聞くことができないでいるが、遺族代表のあいさつを引き受け、子供のころによく肩車をしてもらったことを母親に話すと、「きょうだいで一番おじいちゃんに『だっこ』って言ってたからね」と話してくれた。
追悼式では「災害は想像を超える力で襲ってくることを、祖父と大切な思い出と引き換えに知ることになった」とし、「つらい経験を教訓に身を守る備えを引き継いでいきたい」と誓った須増さん。遺族代表の務めを果たすと、「新型コロナウイルスのせいで三回忌もできていないけれど、改めてやるからね。安心して見守ってね」と大好きだったおじいちゃんに手を合わせた。