フランスで2年に1度開かれるパン作りの国際大会「モンディアル・デュ・パン」。この大舞台に昨年10月、日の丸を背負って出場し、世界一の座を射止めたのが群馬県高崎市のパン職人、大沢秀一さん(34)だ。コロナ禍が続き飲食業界を取り巻く環境は厳しいが、8月には東京・自由が丘エリアに念願の店「コム・ン」を開く。「ゴールはしたけど、再び新しいスタートラインに立っている」。飛躍に懸ける思いを聞いた。
もともと高崎市のパン店「パリジャン」の息子で、高校卒業後、すぐにパン作りの道に。成長へ導いてくれた恩師は、神戸市の人気パン店「サ・マーシュ」の西川功晃シェフだ。
25歳の時、アポなしで店に飛び込み修業を始めた。が、その熱意とは裏腹に「当初は生地すら触らせてもらえず、全く通用しなかった」。まるで赤ちゃんを扱うかのような繊細な西川シェフの手の動きを盗み見する日々が続いた。
2年の歳月をかけて会得したシェフ仕込みの技術を武器に、独立しようと帰郷した。その矢先、思わぬスランプに陥った。「物件探しが不調続きで…。もうパンを焼くどころじゃなくなって。とび職で生計を立てる毎日だった」
パンの道からそれかけていた中、西川シェフから「モンディアル・デュ・パン」の出場選手たちを手伝うよう何度も依頼され、渡航。華やかなステージで繰り広げられる世界最高水準の技の数々を目の当たりにするうち、憧憬(しょうけい)の念は挑戦心に変わっていった。
「そもそも大会の存在すら当初は知らなかった。でも、フランスに行って応援して手伝って…。よし、次は自分こそと決意が固まった」
高崎市の喫茶店オーナーの心遣いで駐車場の一角のプレハブ物置を使用させてもらい、パン焼き場「コム・ン」をオープン。販売と練習の拠点として、夏は50度近い室内で睡眠時間を最小限にしながら、ひたすら審査基準をクリアできるパン作りに励んだ。
大会では2日間で計10時間をかけて日常パン、サンドイッチ、飾りパンなどの作品をグラム単位で焼き上げた。世界の強豪を抑えて優勝した瞬間、涙が止まらなかった。
「日本から来た70人もの応援団の手前、結果が出てホッとした」。うれしさに勝る安堵(あんど)と達成感が全身を包んだ。確かな技術と集中力を支えたのは才能ではなかった。「膨大な練習量だけが頼りだった」
40代を見据え、長野・軽井沢にも店を開くビジョンを描く。世界一のパンへの挑戦は続く。(柳原一哉)
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おおさわ・しゅういち 昭和61年2月、群馬県高崎市出身。富岡高卒。昨年10月、パン作りの国際大会「モンディアル・デュ・パン」の第7回大会で、アシスタントの久保田遥さんとともに優勝。8月には東京・自由が丘エリアにパン店「コム・ン」をオープンする。