32歳元アナ、中洲で女将修業中 「このままでは後悔する」名店継ぐ決断

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32歳元アナ、中洲で女将修業中 「このままでは後悔する」名店継ぐ決断

 週末、歓楽街・中洲(福岡市博多区)の「人形町通り」と呼ばれる横町が活気にあふれている。飲食店が10月から店舗前の路上にテーブル席を設ける「テラス営業」を始めたのだ。仕掛け人は実家の日本料理店でおかみ修業中の山下拓見さん(32)。今春まで地方局アナウンサーとして活躍し、家業を継ぐため生まれ育った中洲に戻ってきた。

【写真】大分朝日放送アナウンサー時代の山下拓見さん

 「かんぱ~い」。金曜日の夜、会社員の男性やホステスの女性が路上に置かれたテーブルで楽しそうに酒を飲んでいた。「盛り上がっていて何より」。山下さんがほほえんだ。

 山下さんの実家は名店として知られる「割烹川田」。父正士さん(78)が1967年に創業し、接待や会合の社用族らでにぎわってきた。料理人の父と、おかみの母佐民子さんの姿を見て、幼い頃から「店を継ぐ」と思ってきた。高校は外国人客に対応できるように英語科へ進み、大学は経済学部を選んだ。

 大学2年の時、転機が訪れる。友人の誘いでアナウンサースクールに行ったことで「言葉で伝えることの面白さ」に気付く。大分朝日放送(大分市)に就職。記者を兼務し、ニュース番組などを担当した。

 アナウンサー生活は充実していたが、佐民子さんが5年前に死去し、正士さんも高齢で足が不自由に。母に代わり姉の牛造(ごぞう)一子さん(45)が店を切り盛りしてきたが、一子さんの嫁ぎ先も飲食店を経営しており、頼ってばかりはいられなかった。「人生の中で店は一番大きな存在。このままではいつか後悔する」。昨年、会社を辞めると決め、今年5月に退社した。

 おかみ見習いとして6月から店に立つ。しかし、新型コロナウイルスの影響で中洲にかつてのにぎわいはなかった。「何かできないか」。行政のウェブサイトなどを調べるうち、国が飲食店支援のため路上利用の許可基準を緩和すると知った。テラス営業を思い立ち、一人で動き始めた。

 市に道路占用許可を申請し、周辺の飲食店に参加を呼び掛け、チラシやポスターも作った。山下さんの頑張りに応えるように、周囲の人々もサポートに動きだした。道路の警備を手伝うラーメン店経営の井上倫清さん(51)は「街への愛着が深く、行動力がある女性が戻ってうれしい」と目を細める。13店舗で始まったテラス営業は、23日から新たに隣接する通りの10店舗が加わった。

 幼い頃から住んだ家も、中洲の真ん中にあった。山下さんにとって「ネオンと騒々しさが私の故郷」だ。人形町通りのテラス営業は毎週金、土曜日午後7~11時。11月末まで続く。(井崎圭)

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