韓国系市民団体が9月にドイツ・ベルリンの公有地に設置した慰安婦を象徴する少女像の撤去を巡って論争が起きた。同様の論争は、米国やカナダ、豪州でもあった。この問題が起きる背景はどこにあり、どうしたら解決に向かうことができるのだろうか。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)
少女像は9月28日、ベルリン・ミッテ区から1年間の許可を得て、住宅街にある公園前に置かれた。日本政府は不適切だとして、ドイツ政府に撤去を要請。区は10月8日、設置許可を取り消し、14日までに撤去するよう市民団体に求めた。
これに対し、市民団体は撤去を求める区の決定の差し止めを行政裁判所に申請した。区は13日、「当面の間、置かれたままになる」と発表。裁判所の判断が出るまでは新たな決定はしないとした。日本側はドイツの司法手続きを見守る姿勢を示している。
今回、ミッテ区の判断が揺れた背景には、市民団体の姿勢に対する不信感があった。フォンダッセル区長は声明で、少女像の設置を承認する過程では戦時中の性暴力に反対する趣旨と受け止めていたが、実際には「旧日本軍の行為のみを対象とし、日本やベルリンでいら立ちを招いた」と指摘した。ミッテ区には100カ国超の出身者が住んでおり、地域の調和を損なわないために「国同士の歴史的対立について、特定の立場を取るのは慎まねばならない」とした。
元々、少女像は2011年12月にソウルの日本大使館のそばに、日本の謝罪を求める韓国の市民団体が無許可で設置したことが始まりだった。この市民団体は、元慰安婦に「償い金」を送るため日本が主導して作った「アジア女性基金」はもちろん、日韓両国政府間の慰安婦合意にも一貫して反対しており、像が政治的主張のシンボルとされてきた点は否めなかった。
同時に市民団体は、国際的な共感を得るため、戦時下の性暴力や女性の人権問題として、慰安婦問題を取り上げてもきた。慰安婦問題で日本がしばしば厳しい立場に追い込まれるのは、世界がこの問題を、女性の人権問題として扱ってきたという背景もある。