東アジアの外交文化と外交姿勢の根源には「序列意識」があると言われている。
前近代時代の東アジアにおいては、主権国家間の対等な関係を前提とした外交や交流が見当たらない。つまり、ウェストファリア体制(1648年に確認・確立)のような水平的関係では無く、天によって選出選抜された「天子」が「皇帝」となり直接統治をする帝国を頂点に、属領・藩、属国・冊封国・朝貢国、野蛮・化外地といった時代によって呼称こそ違えども、垂直的な関係に基づいた外交や交流がなされていた。
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学術的にはこれを「中華秩序」や「華夷秩序」とか、「冊封体制」と呼ぶ。半島の歴代王朝も統一王朝が存在する時期にはその冊封国・朝貢国として、統一王朝が存在しない時期には距離を置きつつ独自に頂点を目指して、垂直的関係の中でその地位の向上と確保に尽力してきた。但し、「王」の国ではなく、「天皇」の国だった日本はその例外であった。
そうした歴史的経験の故に韓国の国際関係を考える際、どうしても盟主とその傘下諸国の垂直的・序列的な関係が前提になってしまうのだ。しかも長年、儒教(朱子学・性理学)や反共等を正統性・理念の中核に据えた盟主の下での国際関係の経験が、正統性・理念の純化と強化によって傘下諸国間の垂直的・序列的な関係での「地位向上」につながるという感覚を持ってしまっているのだ。
故に「華夷秩序」下の諸国では、本来「文教政策」や「科挙」を担当する礼部(朝鮮では「礼曹」)が外交に当たる。つまり自国内の「百姓(農業従事者ではなく、君主と官吏以外の全ての人々)」を教化する事と、自国よりも下位にあると看做す諸国を教化する事が同一視されたのだ。
そして盟主国家の正統性・理念の純化度や受容度の高さと言う内政面での働きが陣営内の「序列の向上」や「地位の確立」につながる。一方、自国よりも下位にあると看做す諸国やその陣営・秩序に未加盟な諸国を「教化」すると言う外交面での働きも、また同様なのだ。
こうした韓国の「礼部・礼曹」的な内外に対する教化姿勢・外交姿勢はしばしば対日外交にも見られているようだ。冷戦時代にあっては”盟主”米国の「反共理念」への純化・受容こそ、日本のなすべき全世界への「贖罪の道」だと要求して、共産党、社会党、朝鮮総連といった東側勢力を一掃しろと要求していた。
また韓国国内では共産主義勢力は勿論、容共勢力さえも駆逐したからと、米国に対して陣営内での日本よりも”優越的”な待遇や処遇を要求した。また米国の極東安保政策において、その負担軽減に呼応すべく儒教的な”尚文文化”とは反してても、経済発展や軍事力強化に乗り出す。
兵営国家化を推進した韓国は、日本が憲法的制約によって防衛力強化に躊躇していた姿勢を批判していた。これもまた米国に対して陣営内での”日本よりも優越”的な待遇や処遇を要求する根拠となっていた。
更に冷戦後から昨今に至っては、長年の陣営内での地位向上を認めない米国に対して、特に日本より優越的な待遇や処遇を得られない事に関して、不満・不信が存在する。中国に対しては経済的な理由の他に、そのような不満が、中国を盟主としてその陣営内での地位・序列向上を目指そうとする方向への転換につながっているとも言われている。
具体的には、パク・クネ(朴槿恵)前大統領による中国閲兵式への参加を始めとした中国寄りの姿勢、中国に対して宥和的で協力的な貿易協定締結、アジアインフラ投資銀行への素早い参加での中国の対外政策への協力、歴史問題(就中、朝鮮戦争や半島分断)における中国の歴史観や主張への対中低姿勢、また中国の政策や歴史観等に呼応しない日本への非難・批判などがある。
こうした一連の韓国の対外政策姿勢を見ると、物理的な力関係によるものも有る一方で、「理念」や「正統性」への順応、適応、受容、また教化(特に日本に対する”教化”)に努める姿勢が目立つ。やはり、「礼部・礼曹」的な外交姿勢や「序列意識」を指摘せざるを得ない。いまだに韓国の新聞が日本の「天皇」を「日王」と翻訳することは、その意識を反映しているものと思われる。
盟主の理念や正統性の受容と内外への教化・純化こそ、地位向上の手段と看做す、こうした韓国の外交文化、外交姿勢、序列意識と、それに基づく外交政策の展開という特徴を踏まえた上で、日本は対韓外交や交流の方向性を考えて行かねばならないのだろう。
米国の次期大統領となるバイデン氏に対する電話会談に対して、「日本より早く」「日本より長く」に神経を集中する韓国の実情にも、そのような「序列」への競争意識が隠れているかもしれない。