韓国にとって東京五輪反対デモをやってる人達は奇異に映るという。本来の日本人ならば国のために一致団結して五輪をやろうとなるはずなのに、今のデモ隊からはそれが感じられないというのだ。それこそが日本の右傾化の証拠だと見当違いの推論を出しているが、要するに彼らは日本人ではないのではないか?ということだろう。
【ソウルからヨボセヨ】日本人は別人になった?
6/27(日) 8:30配信 産経新聞
先ごろ日韓関係のさるセミナーで韓国の日本専門家からこんな発言があった。東京五輪を前に日本であんなに反対があるのが不思議だ、新型コロナウイルスが理由のようだが、日本の感染状況は国際的にはそれほどひどくないのだし、国際的に約束した一大国際行事を今さら中止すべきだというのは日本人らしくないのでは、というのだ。
意見を聞かれたのでこう答えた。もう日本人は変わってしまった、国のためとか世界のためとかいっても動かなくなった、自分や身の回りの方が重要で「ガマンしてでも一致団結してオリンピックをやろう」とはならない、皆さんがよくいう日本の保守化とか右傾化というのは、実は日本人が内向きになってしまって自分以外のことは考えなくなったということだ…と。
韓国人にとって日本は過去、支配されたこともあっていまなお心理的に存在感は大きい。そこで日本が困ったり国際的に批判されたりすることを喜ぶ心理があり、東京五輪についても反対や非難の動きはことのほか大きく伝えられている。
しかし開幕まで1カ月を切り五輪競技そのものへの関心も出てきた。「世界のスポーツ強国」といってメダル数トップ10を期待している。始まれば日本が舞台だけに「勝った、勝った!」で盛り上がることは間違いない。
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国際社会に対する約束を破るのは日本人じゃない
これについては実際その通りで、東京五輪は今さら中止を宣言できるような物ではない。いくら反対デモをやったところでたかが知れている。何より国際社会に対する約束を守らないのは、そのまま韓国政府の姿勢と同じじゃないかという話だ。つまり彼らは日本人とは思えない=日本人じゃない、ということ。産経黒田氏の意見も混じっているが、元来の日本人とは異なる行動パターンなのは確実だ。
だからこそ予言者クロセリーノは”地震で”東京五輪が中止になると予言しているのかもしれない。不可抗力的な大災害が起これば、誰の責任でもなく東京五輪は物理的に中止だ。まさにAKIRAのような展開になるだろうという話だ。そうだとすれば“東京五輪反対”のプラカードを掲げる“演出”まで含めてAKIRAの展開そのままとなる。韓国ではAKIRAはよく読まれているのか知らないが、シナリオ通りの展開になってほしいと思う人が後を絶たないだろう。