
野幌森林公園に立つ北海道百年記念塔=札幌市厚別区で2020年6月20日午前11時55分、貝塚太一撮影
北海道命名100年に当たる1968年に着工して70年に完成した「北海道百年記念塔」(札幌市厚別区)。道は老朽化などを理由に解体を決め、今年度から着手するが、設計者の井口健さん(83)=同市=は「塔は未完成だった」と振り返る。当時20代の建築家が塔に込めた思いとは――。【真貝恒平】
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◇欠けた「アイヌ慰霊のモニュメント」
「すっかり耳が遠くなってしまってね」。市内の喫茶店で建築雑誌に目を通していた井口さんは、補聴器を指さしながら笑みを浮かべた。「塔は建築家としてのスタートだった」。情熱に満ちていた若かりし日々を懐かしむように、井口さんは穏やかな表情で静かに語り始めた。
今金町出身。札幌工業高卒業後、同市内の建築事務所に就職した。67年のある日、道庁本庁舎の新築工事で現場監理を担当していた井口さんは、事務所に張られた1枚のポスターを目にする。1869年の北海道開拓使設置から100年を記念した道の「北海道百年記念事業」。ポスターではその目玉として、全国の1級建築士を対象に建設を予定している塔の設計アイデアを募っていた。
当時は高度経済成長のまっただ中。道内では72年札幌冬季オリンピックの招致など大型プロジェクトが動き出していた。井口さんは67年に28歳で念願の1級建築士になったばかり。自分の力がどこまで通用するのか試したかった。「未来への希望と北海道の歴史を物語る建造物にしよう」と心に誓った。
昼夜問わずアイデアを練り上げた。塔のイメージとして頭に浮かんだのは北海道の「北」で、塔の断面は「北」の文字を表現。上空からみると雪の結晶である六角形を基調とし、下から見上げると土台部分で曲線を描きながら次第に垂直に天空へ伸びる塔だった。日本を代表する建築家の黒川紀章さんらも出品したが、公募299点から最優秀に輝いたのは井口さんだった。驚きと同時に大きな喜びがこみ上げてきた。
道が発行した「北海道百年記念事業の記録」によると、塔は「道民みんなで築く躍進北海道のシンボル」と位置付けられ、総工費5億円の半分は道民らの寄付で賄われた。
ただ、塔は井口さんのアイデア通りにはいかなかった。塔の根元に石積みのモニュメントを造り、壁面にアイヌ文様を施す構想だったが、道からは「予算不足で造れない」と断られた。さらに、事業の「開拓から100年」という歴史観が、先住民族であるアイヌ民族への軽視につながりかねないといった疑問の声が上がっていた。井口さんは「北海道で暮らしてきた人々への慰霊を込めたモニュメントがあってこそ、あの塔は完成だった」と悔しさをにじませる。
井口さんが塔を設計してから55年。老朽化による安全性や管理維持費の問題から解体を決めた道の方針に、井口さんは一貫して反対の立場だ。今も「『母なる大地の塔』と名称を変更して残してほしい」と訴える。設計者として見守り続けてきた“親心”なのだろうか。井口さんは最後に塔への愛情をこう表現した。「北海道の自然に委ね、朽ち果ててほしい。命を全うさせてやりたい」
◇秋にも解体開始 保存求める声も
「北海道100年」にちなみ、高さ100メートルでそびえ立つ北海道百年記念塔。1990年代に大規模改修が2回行われたが、道は2018年に解体を決定。昨年11月には保存した場合、今後50年間で維持費は28億~30億円との試算を示した。22年度当初予算に解体費の一部として4300万円を計上し、24年度までで総額6億4500万円を見込む。今秋以降、解体作業に着手。塔の跡地にはモニュメントを設置する方針だ。
塔は札幌、江別両市の小中高で校歌に使われたり、児童が遠足で訪れたりするなど地元住民の愛着も深い。「歴史的価値がある」として保存を求める声が上がっており、存廃議論の火種はくすぶっている。
住民有志らでつくる「北海道百年記念塔を守る会」の野地秀一代表(53)は「(道の)解体ありきの進め方に大きな問題がある。コスト面を理由にするのであれば、『古いものは壊す』という一方的な考えになってしまう」と解体に疑問を投げかける。
◇北海道百年記念塔の歴史
1968年11月…着工
1970年 9月…完成
1971年 4月…一般公開開始
2014年 7月…老朽化により立ち入り禁止
2018年12月…道が解体を決定
2022年 2月…道が解体費の一部を新年度予算案に計上