TBS NEWS DIG Powered by JNN
今、中国に暮らす日本人は、10万7000人あまり。常に対日感情が良好とは言えない中国で、彼らはどんな思いで日本と中国を見ているのでしょうか?
2022年は日中国交正常化50年。JNN北京支局、上海支局の記者が聞いた「私が中国で暮らすわけ」。そして「私が思い描く日中のこれから」。
【写真を見る】【私が中国で暮らすわけ】10年間同じ日に献血続ける日本人… 中国では“非日常”の献血で「中国の人救う可能性」 #日中国交正常化50年
■北京市内の公園に集まる日本人… 向かった先は?
9月18日。北京市内の朝陽公園に数人の日本人の姿がありました。
向かった先は…献血車。みんなで献血をしよう、という集まりだったのです。
呼びかけたのは楠本路子(くすもと・みちこ)さん、55歳。
いったいなぜ、献血を?きっかけは10年前にさかのぼります。
■「おまえは何人だ?」と問われ… 反日のなか「何ができる?」
2012年9月。北京の街で、日本人たちは息をひそめて暮らしていました。
日本政府の尖閣諸島国有化に端を発した反日デモは日に日に激化。日本大使館にはデモ隊が押し寄せ、日本料理店には中国の国旗がベタベタと貼られました。
「私に何ができるだろう?」
部屋の中で楠本さんはずっと考え続けていました。
「安全が確保できないから出社しないでほしい」と言われ、家の中で過ごすしかありませんでした。中国人の友人はみな優しくしてくれる。しかし、友人たちの中にも「反日ムードに同調しないと」という理由で、SNSに反日的な投稿をする人もいました。
タクシーに乗れば「おまえは何人だ?」と聞かれ、「日本人」と答えると乗車拒否にあうため「韓国人」と嘘を言ったこともあります。帰国を勧める友人もいました。
ただただ、悲しかった。反日の嵐の中で楠本さんは考え続けました。
「日本と中国のために何ができるだろう?」
思いついたのが「献血」でした。
■献血が“非日常”の中国で 「中国の人を救う可能性がある」
日本にいるときから、楠本さんにとって献血は「日常」でした。機会があれば献血をしてきました。
しかし中国に来て、献血は「非日常」だということを知りました。中国では日本のように気軽に献血を行う習慣がありません。かつては設備も、環境も不十分でした。そのため、血液が慢性的に不足しています。家族が手術をするときは、親戚一同みんなで献血をし、その証明書をもって病院にいかなくてはならない場合もあります。「血が足りないから」と手術を待たされることもあるそうです。
自分の夫も、友人も中国人だ。自分の血がその人たちの役に立つ。中国の人を救う可能性がある。ただの自己満足かもしれない。しかし、とにかく何か行動を起こしたかったのです。
以来、毎年必ず9月18日には、献血をしてきました。出張先で献血ができる場所をわざわざ探して行ったこともあります。9月18日にやる。これが楠本さんのルールでした。
中国の献血は日本以上に厳しい条件が課せられています。前日に飲みすぎてはだめ。朝ごはんを食べすぎてもだめ。薬もだめ。そのため楠本さんは毎年、9月18日に向けて体調を整え、万全の態勢で献血に臨んできました。
9月18日は満州事変のきっかけとなった「柳条湖(りゅうじょうこ)事件」が起きた日。2012年は反日デモと重なり、中国人の反日ムードはピークに達していました。SNSには、日本軍の残虐な写真や「9.18を忘れるな」などの投稿があふれていました。
楠本さんが中国で暮らし始めたのは1998年。ロシア留学中に知り合った中国人男性との結婚を機に、中国に移り住みました。中国語が喋れないまま始まった生活。しかし、夫の家族や友人の助けによって、徐々に中国に溶け込んでいきました。2009年に夫が他界してから、中国の家族との絆はより深まったと感じるそうです。今は北京で仕事をしながら、ふるさと北海道との間を行き来する生活です。