エリザベス英女王の死因は「老衰」、死亡時刻は王子たち到着の前

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エリザベス英女王の死因は「老衰」、死亡時刻は王子たち到着の前

エリザベス英女王の死因は「老衰」、死亡時刻は王子たち到着の前

英スコットランド自治政府の住民記録当局は29日、今月8日に亡くなった英女王エリザベス2世の死因を「老衰」と記載した死亡診断書を公表した。

死亡診断書によると、エリザベス女王は9月8日午後3時10分に、スコットランドのバルモラル城で亡くなった。

女王の死去について当局に報告したのは、長女のアン王女として登録されている。

死亡した人の「職業」については、「女王陛下」と記載されている。

スコットランド・アバディーンシャーにあるバルモラル城で女王の死亡を確認した医師は、ダグラス・グラス医師と書かれている。英王室はグラス医師を、「女王の薬剤師」と呼んでいた。

生前の女王の健康状態は多くのことが伏せられており、死去後も詳細は明らかにしないという動きは続いている。

死亡診断書に死因は「老衰(old age)」とのみ書かれ、詳しい説明はない。

死因に「old age」とのみ記載される状況は通常、条件がきわめて限定されている。死亡を確認した医師自身が当人を長期にわたって診察し続けたほか、体調の衰退が徐々に確認されたもので、加えて、死のきっかけになり得た具体的な病気や負傷を医師が承知していないことを意味する。

一方、女王の死亡時刻は、マスコミの注目が女王の健康状態に集中していた9月8日当日の動きを裏付ける。

王室は同日午後12時32分、エリザベス女王が滞在中のバルモラル城で医師の管理下に入ったと、異例の発表を行った。

王室は次に同日午後6時半に、女王の死去を正式に発表。世界中の報道機関が直ちに、「女王は本日午後、バルモラルで穏やかに亡くなった」と伝えた。

リズ・トラス英首相はこれに先立ち、午後4時半に知らされていたと、後から報道された。

死亡診断書には死亡時刻が午後3時10分と書かれている。王室の発表の3時間以上前だったことになる。

王室が昼過ぎに、女王の健康悪化について公表して間もなく、女王の子供や孫たちがバルモラル城へ急いで向かっているとの情報が相次いだ。

チャールズ皇太子(当時)と長女のアン王女はすでにスコットランドにいたものの、ウィリアム王子をはじめ他の王族は空路でスコットランドへ急いだ。女王の死亡時刻との関係でみると、ウィリアム現皇太子らがまだ機中にいる時に、女王は亡くなったとみられる。

アバディーン空港に到着したウィリアム王子、アンドリュー王子、エドワード王子とソフィー妃が、ウィリアム王子が運転する車でバルモラル城に着いたのは、午後5時ごろだった。

死亡診断書にはさらに、女王が「widowed」、つまり伴侶が死亡した状態だったことのほか、両親の名前と職業も書かれている。

父親は、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィンザーで、職業は「国王ジョージ6世」。母親は、エリザベス・アンジェラ・マーガリート・ボウズ=ライオン。職業としては「エリザベス王妃、女王の母」と書かれている。

エリザベス女王の死亡診断書は9月16日、アバディーンシャーの行政当局に登録された。当時、女王の遺体はロンドン・ウェストミンスター宮殿の大広間で公開安置されていた。

女王の死亡診断書公開とあわせて、29日には棺が埋葬されたウィンザー城内の礼拝所が初めて一般公開された。

城内の聖ジョージ聖堂内にあるジョージ6世記念礼拝堂には、女王のほか、女王の両親と夫フィリップ殿下の名前と生没年が刻まれた墓標が、床に埋め込まれている。

29日午前10時からの一般公開に先駆けて、ウィンザー城外では数百人が行列した。

(英語記事 Queen’s cause of death given as ‘old age’ on death certificate)

(c) BBC News

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