梨泰院雑踏事故のトラウマと韓国2030世代の悲しき日常…借金・住宅高騰で10人中9人が貧困


目の前で友人が…

梨泰院雑踏事故のトラウマと韓国2030世代の悲しき日常…借金・住宅高騰で10人中9人が貧困

FNNプライムオンライン

【画像】事故当時の救助活動

事故当時、現場では必死の救助活動が展開された。その場にいた市民も救助に加わり心肺蘇生(CPR)を施す姿が随所で見られた。何とか命を助けようと懸命に友人の名前を呼び、手を動かしたものの、目の前で何人もの人が亡くなった。

「助けられなくてごめん……」

生き残った若者たちの中には、自分が助かったことに罪悪感を抱く人も少なくない。また、通勤時の地下鉄など人が密集した場所を恐れるなど、多くの市民が事故のトラウマに苦しんでいる。

梨泰院近くやソウル市庁前広場に設けられた合同焼香所には、犠牲者の冥福を祈る市民の列が後を絶たない。

「梨泰院にいた娘が無事に帰ってきたときは嬉しかったが、子供を失った母親の気持ちを思うと胸が痛む」

「自分の孫のような若者たちが亡くなってとても辛い」

死者156人のうち20代が104人と最も多く、30代は31人、10代は12人と続く。未来ある若者たちを救えなかったことが、人々を一層苦しめている。

世界各国から人々が集まる多国籍な街・梨泰院だけに、外国人の死者も日本人2人を含む26人に達した。国籍もイラン、中国、ロシア、米国、フランス、オーストラリアなどさまざまだ。

梨泰院は多様性と自由を象徴する場所から一転、痛ましい惨事の現場として記憶されることになってしまった。

米軍基地の街から「梨泰院クラス」の街へ

米国のファストフード店がまだ珍しかった時代、梨泰院に行けば、「ウェンディーズ」があり、ピザが食べられた。

韓国初のジャズクラブ「ALL THAT JAZZ」が有名で、韓国に居ながらアメリカっぽさを感じることができた。米兵相手のバーやクラブが軒を連ね、夜になると危険な雰囲気も漂い、一般の韓国人や若い女性にとっては近寄りがたい場所でもあった。

ソウルで企画・翻訳オフィスを運営するライターの伊東順子氏によれば、梨泰院が今のような一般の韓国人にも人気の街になったのは2000年代半ば以降だという。米兵が減った代わりに外国人観光客が多く訪れるようになった。さらに、イスラム圏の人々が多く暮らすようになり、街が多国籍化した。

また、2010年代に入ると若者の創業ブームが梨泰院にも波及し、比較的地価の安い路地裏に個性的な店が次々と誕生していった。そこには、性的マイノリティの人々も含まれていた。

日本でも人気の韓国ドラマ「梨泰院クラス」も、多様な価値観を受け入れ、それを楽しむことができる街として梨泰院を描いていた。海外にいる気分を味わえるきれいな建物、世界各国の多様な人種、誰もが自由に見える。世界の縮図のような街――若者にとっての梨泰院は、一発逆転を可能にするコリアンドリーム実現の舞台でもあった。



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