「日本の古墳から百済の金銅冠…韓日交流は深いという事実を学んだ」

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「日本の古墳から百済の金銅冠…韓日交流は深いという事実を学んだ」

(写真:朝鮮日報日本語版) ▲徐程錫・公州大学教授が12月7日、奈良県にある日本最古の仏教寺院「飛鳥寺」で、「第43回 日本の中の韓民族史探訪」に参加した大学生らに説明しているところ。/写真=チョン・ノクヨン記者

 日本にある主な遺跡を見て回って韓日関係の歴史を探る「第43回 日本の中の韓民族史探訪」が、12月5日から9日にかけて開催された。朝鮮日報紙が主催し、新韓銀行・GS・ポスコが後援するこの行事は、1987年から毎年1-2回のペースで開催されてきた。これまで教師・大学生など合わせておよそ1万8000人が参加した。新型コロナ問題などで2018年以来4年ぶりに開かれた今回の探訪には、大学生や一般人など150人が参加した。江原大学史学科のソン・スンチョル名誉教授、公州大学文化財保存学科の徐程錫(ソ・ジョンソク)教授、大田大学のイ・ハンサン教授が現場解説を担当した。

 参加者らは、日本国内の遺跡地の各所で韓民族の息吹と対面した。佐賀県有田では朝鮮出身の陶工、李参平(イ・サムピョン)=?~1655=と対面した。忠清南道公州出身の李参平は、壬辰(じんしん)倭乱=文禄・慶長の役=当時、肥前国の領主によって日本へ連れてこられた。彼は日本で初めて「白磁」を作り、日本の代表的な陶磁器「有田焼」の陶祖となった。李参平が亡くなった3年後、村の人々は「陶山神社」を作り、今でも彼を神として祭っている。1917年には「陶祖李参平碑」も作った。今でも直系の子孫が陶磁器作りをしながら「14代李参平」を名乗っている。隣国の学生たちと対面した14代李参平が、はっきりした韓国語で「アンニョンハセヨ」とあいさつすると、学生たちは拍手で応えた。学生のプ・ジウォンさん(公州大学3年生)は「陶工が日本に大勢連れていかれたのは知っていたけど、有田の陶磁器の始祖が朝鮮の陶工だったことは初めて知った」と感嘆した。

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