JR東日本が言葉を濁す「れんが建築物」の正体 実は皇室専用車両の保管庫だった ネットでは周知の事実、なぜ隠す?

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JR東日本が言葉を濁す「れんが建築物」の正体 実は皇室専用車両の保管庫だった ネットでは周知の事実、なぜ隠す?

解体が進む、皇室関連の車両の車庫とみられるれんが造りの建物=3月

【写真】引き寄せられて…滞在時間は25分、関東随一の秘境駅へ

JR東日本が言葉を濁す「れんが建築物」の正体 実は皇室専用車両の保管庫だった ネットでは周知の事実、なぜ隠す?

(写真:47NEWS)

 ▽道路から丸見え

 JR東日本は、品川区に東京総合車両センターを持つ。車両センターは文字通り、終電から始発までの間に電車を留置したり、車両を定期検査したりするための一大拠点だ。その広大な敷地の南西側、品川区役所との境界付近にある倉庫が、御料車庫だ。

 「御料車」とは、皇室が使う自動車や列車のうち、宮内庁の随行員などではなく天皇、皇后両陛下が乗る車両を指す。鉄道の場合、車両は製造時の最高の技術・美術工芸を結集して造られ、機関車と連結して「お召し列車」として運行する。御料車庫には、その歴代の車両の一部がある…と説明すると秘密のベールに包まれているように思われる。

JR東日本が言葉を濁す「れんが建築物」の正体 実は皇室専用車両の保管庫だった ネットでは周知の事実、なぜ隠す?

大正11年製造のお召し列車10号御料車=1969年10月9日

 この原稿を書いている2023年4月時点では、グーグルマップ上にも「御料車庫」と表示されている。こんなに公然と存在する施設なのに、JR東日本に「あれは御料車庫なんでしょ?」と聞くとはぐらかされた。なぜだ。

 御料車そのものも、詳細は機密事項というわけではない。廃車になった車両は、さいたま市の鉄道博物館や愛知県犬山市の博物館明治村で展示されている。

 ▽大正4年から現存

 車庫について調べると、由来は古い。1910年、現在の港区・汐留にあった車両工場の機能拡張のため、当時の鉄道院が「大井工場」の建設を始めた。これが現在の車両センターに当たる。大井工場の完成に伴い、大正4年の1915年ごろに御料車も汐留から大井へと移転した。汐留時代は玉車庫と呼ばれた車庫は、大井移転後に御料車庫と呼ばれるようになったもようだ。

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