
お笑いタレントの東野幸治
お笑いタレントの東野幸治(55)が18日までに更新されたYouTubeチャンネル「放課後ダイノジ」にゲスト出演。若手時代の驚きのエピソードを明かした。
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東野は24歳だった1991年に一般人女性と結婚。すでにラジオだけで6本のレギュラーを持ち、家賃15万円のマンションに住んでいたものの、生活は決して楽でなかったと振り返る。さらに同年12月にレギュラー番組としてスタートした「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)のメンバーから除外。「そのとき、結婚もして、子どももいてたから、お金を稼がなあかんし、うわどうしよう、みたいな感じ」と当時の心境を明かした。
追い打ちをかけるように、年末に東野の長女が喘息で入院。「とにかく、入院費を払わなあかん」と思いついたのが、競馬だった。
「アホな旦那とアホな嫁で、(奥さんから)頑張ってきて、って言われて。“そんな(うまくいく)わけないでしょ”っていう感じじゃなくて。それで勝ったり負けたりしながら、何とかこう死に物狂いでやったら、(7、8万が)27、8万になったのかな。それで入院費を払えた、みたいな」
綱渡りのような、その日暮らしの中で、ようやく芽生えたのが「自覚」だった。「初めて、ちゃんと仕事せなあかんって。それまではダウンタウンという大きな傘の下で、ぬくぬくと雨に濡れることなく、ずっとキャッキャッしてたから」。芸人・東野幸治のターニングポイントを感慨深そうに振り返っていた。