オリエンタルラジオの中田敦彦(C)日刊ゲンダイ
オリエンタルラジオの中田敦彦(40)が、自身のYouTubeチャンネルで「松本人志への提言」というタイトルの動画を配信し、ダウンタウンの松本人志(59)批判を展開したことで、さまざまな論争が巻き起こった。
ところが、動画での発言について「クレイジーラブ」と愛ゆえの提言だったと中田は弁明し、自ら幕引きを図ったのだった。
宮迫博之がYouTubeチャンネルで本音「お金儲けして早く隠居したい」
「中田君がデビューしたての頃、新宿ルミネよしもとで一緒になりましたが、頭が良くていいやつでした。その後、YouTubeなどネット活動が中心になって、漫才は途中でダウンした。もう少し真剣に漫才をやっていたらなと思います」
NSC(吉本総合芸能学院)在学中に若手漫才師の登竜門「M-1グランプリ」で準決勝に進出するなど、早くから頭角を現したオリラジ中田についてこう話すのは、漫才コンビ「B&B」の島田洋七だ。
洋七はコロナ禍が収束しつつある今年、2冊の本の出版を予定するなど、73歳の今も現役バリバリで活躍している。
「ビートたけしが『洋七のしゃべりには誰にもかなわない』と太鼓判を押してましたが、最近の講演会でもお客さんの笑いは止まらなかった。洋七のしゃべりはいまだ健在です」(芸能ライター)
ご存じの通り、洋七は、80年代の漫才ブームを牽引した一人だ。
「僕らの漫才ブームの時はたけしの『ツービート』、『紳助・竜介』、『ザ・ぼんち』、『のりお・よしお』、『今いくよ・くるよ』、我々の『B&B』くらいでブームを支えていたんです。今のようにネタは4分とかではなく、劇場に出演すれば、15分はやらなければならない。みんな必死に漫才を勉強しましたよ」(洋七)
2002年から06年まで5年間、M-1の審査員を務めている洋七。
「ここ数年はM-1で優勝しても、3、4カ月くらいで(表に)出てこなくなる。僕が審査員をやっていたころに脚光を浴びた中川家やブラックマヨネーズ、フットボールアワーは未だに生き延びてます。吉本興業が自社で劇場を持っていて、そこで漫才を披露する場があるからですよ。テレビ出演だけでは限界があるんです」(洋七)
そこで洋七が引き合いに出すのが、デビュー2年の22歳で紳竜として漫才ブームに乗り、若くして芸能界でブレークするなど、中田と被る点のある島田紳助さんだ。大ブレークした紳助さんはその後、司会業に進出。一時はお笑いの帝王と呼ばれるまでになったが、11年8月、暴力団との“黒い交際”を認めて電撃引退している。
しかし、翌年の元旦には、当時吉本興業社長だった大﨑洋現会長が紳助に対して復帰コールしていたという。