明菜は舞台でこそ輝いたが…
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】
中森明菜にとっての1990年代は、まさに〝苦難〟の連続となった。さまざまな人間関係がうごめき、気がつけばスキャンダルまみれ…。人間不信に陥っても不思議ではなかった。そんな明菜にとって、母・千恵子さんの死去は大きな衝撃だったに違いない。
【写真2枚】初々しいビキニ姿の中森明菜 等
そんな「どん底」ともいえる窮状にあった明菜をめぐって、思わぬ〝噂〟が女性週刊誌の誌面をにぎわした。
「合同結婚式で話題を呼んだ旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)から、熱心に勧誘されていたという話でした。一説にはスタイリストから入信を勧められていたとも言われていました。スタイリストはアーティストに近いところにいて日常的にも接触が多かったですからね」
当時の明菜を知る芸能関係者によると「もともと明菜は宗教に否定的ではなかった」とし、「むしろ何かにすがりたいタイプだった」という。
そもそも芸能人と宗教の関係は密接だ。もっとも芸能人に限らず、例えば失恋や挫折などを繰り返し、耐えられない孤独感を経験すると、宗教にすがろうとするところがあるかもしれない。
ところで明菜と旧統一教会との関係は93~94年ぐらいにさかのぼる。実は水面下で噂が広まっていたのだ。芸能界の宗教事情に詳しいフリーライターが振り返った。
「統一教会は歌手で女優の桜田淳子さんや新体操の元五輪選手だった山﨑浩子さんら有名芸能人が入信したことが話題となり、特に合同結婚式(92年8月)への参加は世間を驚かせました。当時、明菜さんはニューヨークに滞在していたと思いますが、そこで(明菜の暴露本を執筆した)女性社長から、そのスタイリストを紹介されたそうです。女性社長がどういった意図で明菜に紹介したのかは分かりませんが…」
旧統一教会に限らずビッグネームの芸能人は広告塔としての価値が高い。それにしても、なぜ千恵子さんの死後になって、その旧統一教会の問題が再燃したのか。ある芸能関係者がいう。
「明菜には悩みが山積していましたから。そうでなくともトラブルで新曲やアルバムも遅れがちでした。そんな中、長い間疎遠だった千恵子さんと仲直りしたのに、わずか1年後には帰らぬ人となってしまった。そんな明菜に手をさしのべたのかもしれませんね。そもそも明菜は本質的には純真ですから、人を好きになったら、その人を信用し、とにかく一直線に突っ走ってしまう。そんな明菜の心を利用しようとしても何ら不思議なことではありません」
とはいえ、一方で、前出のフリーランスのライターは「千恵子さんの亡くなった95年は、8月にソウルのオリンピックスタジアムで3年ぶりの合同結婚式が行われました。ただ当時、オウム真理教の問題もあって脱会者が急増したようなので、あるいは、それを盛り上げるために明菜の名前が挙がったのかもしれません」と話す。
噂になった背景については「一説には、教祖の長男(故人)がミュージシャンで、明菜と親交があったことが噂を拡大させる要因になったのでは…」とも。
ただ、明菜の入信の信憑(しんぴょう)性については「少なくとも旧統一教会の教義では酒やタバコは禁止ですからね。さすがに、明菜が耐えられるとは思いませんけどね」。ちなみに、宗教について明菜自身は「お布施」に対して異論を唱えることがあったとも言われる。
「旧統一教会に限らないと思いますが、宗教でお布施の話になると明菜は嫌な顔をしていたとそうです。『どうして幸せになることにお布施が必要なの?』と、常に懐疑的に思っていたようですね」(芸能関係者) =敬称略 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
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■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。