CAの夢奪われた23歳 空港での笑顔知る人に父面会 つないだのは

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笑顔が魅力だった福島啓子さん=父敏広さん提供

【写真】手向けられた花束には「笑顔を思い出します」

 04年12月~05年1月に福岡県内で起きた3女性連続殺害事件。客室乗務員(CA)になることを夢見ていた福島啓子さんは05年1月18日朝、福岡市東区の自宅から歩いて出勤途中に惨劇に遭った。

 現場となった同市博多区の大井北公園は、父敏広さん(67)が、人との出会いを大切にしていた愛娘の足跡を残したいと市に要望し、今年1月、「夢を語る公園」という愛称が付けられた。そのニュースを見た県内在住の男性は、自身のブログに福島さんの「笑顔の記憶」をつづった。

 敏広さんは、ブログのことを知人から聞いて知り、6月10日に県内の喫茶店で男性と初めて会った。男性は事件のことも覚えており、空港で働いていた作業服姿の福島さんの写真を見て、「間違いない。この女性でした」と語った。

 福島さんは福岡空港で航空機への乗降に使う「旅客搭乗橋」の着脱などの地上支援業務をしていた。男性はブログでこうつづる。

 <なによりもその笑顔が素敵(すてき)な方だった 希望に満ちた瞳 わたしのようなただの通行人を「はっ」とさせるほどのたおやかな方 親しい人々にはどれだけの幸せを撒(ま)いてたのだろう>

 男性の記憶では10回程度、出張で東京へ向かう際に旅客搭乗橋ですれ違い、会釈を交わした。名前は知らなかったが、その笑顔は脳裏に刻まれている。「仕事上の笑顔」ではなく、真心から出た笑顔に見えた。

 男性は福島さんに出会うのが楽しみだった。しかし、事件を境に見かけることがなくなり、ある日、ニュースでその顔写真を見て言葉を失ったという。「あんな笑顔は見たことがない。夢を抱いた強い意志を持った笑顔でした。私だけではなく、多くの人が覚えているでしょう」。敏広さんにそう話した。

 福島さんは客室乗務員になるため痩身(そうしん)に励み、地道な努力を怠らなかった。毎朝のジョギングを日課にしたのは「知らない人に『頑張って』と言われ、その一言がうれしかったから」だった。両親には「人との出会いって大切」「巡りあえた人に感謝している」と日々、伝えていた。

 敏広さんにとっても忘れられない笑顔がある。亡くなる2カ月前だった。博多区の喫茶店で会った時、福島さんは「7号のズボンがはけるようになったよ」と言って、白色の真新しいズボンを披露してくれた。夢と希望にあふれた笑顔がいとおしかった。

 あれから18年。敏広さんは愛娘が仕事場でも人々の記憶に残る笑顔を振りまいていたことを知り、喜ぶ。「娘の真心が私と男性を引き合わせてくれた。啓子の笑顔は今でも人々の心に生き続けています」。そう言い、大粒の涙をほおに伝わせた。【柳瀬成一郎】

 ◇福岡3女性連続殺害事件

 2004年12月に福岡県飯塚市と北九州市で、05年1月に福岡市で、福島さんら3人の女性が相次いで殺害された。県警は05年3月、福島さんの携帯電話を所持していた、当時35歳の男性を占有離脱物横領容疑で逮捕。その後、3人に対する強盗殺人などの容疑で逮捕を重ねた。男性は強盗殺人罪などで死刑が確定し、19年8月に刑が執行された。

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