息子の火傷跡に今も「なぜ」 屋台爆発の死傷事故から10年

京都府福知山市での悲劇

兵庫県丹波市での苦悩

息子が一時的に重体になった兵庫県丹波市柏原町の余田正徳さん(60)は、京都府福知山市で起きた花火大会の屋台爆発事故から10年を迎えた。余田さんは現場である由良川堤防を訪れ、花を手向け、手を合わせました。彼は「10年が経ったけれど、この日をいつまでも思い出すだろう」と語りました。

悲劇の日

屋台の爆発事故は、2013年の花火大会前の8月15日午後7時半ごろに発生し、58人が死傷しました。屋台の店主は業務上過失致死傷罪で有罪判決を受け、禁錮5年となりました。

余田さんの次男の苦しみ

余田さんの次男は当時12歳で中学1年生でした。彼は大火傷を負い、1か月以上も入院しました。1週間は集中治療室で過ごしました。この爆発事故で、当時小学5年生だった10歳の男の子も犠牲になりました。近い年齢で同じ野球少年だったため、次男は今でも彼のことを思い返すと言います。

父と息子の絆

次男は「亡くなった方の代わりに頑張る」と話し、現在は大学生になりました。毎年、彼は事故現場を訪れていましたが、現在はドイツに留学しています。10年の節目に、次男から「お父さん、代わりに行ってくれ」と頼まれた余田さんは、「亡くなった人の遺族はとてもつらい思いをしていたと思います。次男と同じ病室で亡くなった男性の最期の言葉を私が聞いたのです。「大丈夫」と言う言葉が今も頭に残っています。心が痛みます」と語りました。

火傷の痕と向き合う

次男は火傷の跡を「もう隠さない」と言い、夏には半袖を着ています。しかし、余田さんは「本人は明るいですが、それでもなお傷つくことがあると思います。彼が傷を見るたびに『なぜこんなことになったんだろう』と考えています。現在も治療中の方々は大変な日々を送っています」と話しました。

花火大会の未来

京都福知山市では事故以来、花火大会が開催されていません。余田さんは、「『花火大会』という言葉を聞くと、精神的につらい方もいるかもしれません」と指摘しながらも、花火大会の再開を支持しています。次男も同じ思いを抱いていると言います。「事故の日に花火が一発も上がらなかった。花火を見られなかった被害者たちの気持ちもある」と余田さんは語りました。

誤解を解く

爆発事故はベビーカステラの屋台で起きましたが、余田さんは「花火師を含む花火は爆発とは無関係です。ベビーカステラも関係ありません。屋台もちゃんとしたものはちゃんとしたものです」と話しました。

【庭田学】

屋台爆発事故

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