戦地の兵士から送られた手紙 戦争の記憶が綴られる

特別な手紙、特別な思い

手紙のサムネイル

太平洋戦争末期、ビルマ(現在のミャンマー)で戦死した兵士が、故郷の妻に宛てて送った手紙が、宗像市の孫の手に残されていました。春から半年かけて手紙の内容を解読した孫は、易しい言葉で手紙を書き起こしました。彼らの手紙には、戦地から遠く離れた我が子を思う親心が溢れていました。(大塚晴司)

愛する妻への手紙

宗像市に住む公務員の土橋功昌さん(53)は、昨年10月に父の朝行さんが80歳で亡くなった後、仏壇の引き出しから古いつづりが見つかりました。そのつづりには、祖父の甫さんが妻キマさんに宛てて送った31枚のはがきと3通の封書が大切に保管されていました。

心の中の思い

キマさんが102歳で亡くなった後、甫さんからの手紙が見つかったことは聞いていましたが、あまり関心を持ちませんでした。しかし、父の死をきっかけに、祖父の思いに初めて向き合うこととなりました。

遠い戦地から

甫さんは佐賀県太良町出身で、活版印刷所を営んでいました。彼は1929年に陸軍に徴集され、太平洋戦争が始まる前の1941年夏に応召しました。その時、キマさんは彼らの間に新たな命が宿っていました。

情熱の手紙

甫さんは、平壌やラングーン(現在のヤンゴン)から手紙を送ってきました。

「男だったら朝行とはどうですか。女だったら君達で考えてくれ」

それから、彼らの間には男女の双子が誕生しました。戦勝を願って姉には「勝子」と名付けられ、手紙に書かれた通り、弟は「朝行」と名づけられました。

甫さんの喜びようが手紙から伝わってきます。

「分娩をしてから初めての便りを頂き、しかも子どもの写真を拝見して、故山に帰ったような感が致しました。どうぞ宝子と思って養育を頼みます。今日は戦友と一杯、地元のお酒でも含んで祝いたい」

その後も、甫さんからは妻子への手紙が続々と届いていました。

「乳が出ないのに2人分の養育は大変でしょう」

「歩くのは春の頃でしょうね。歩くようになって2人の写真を見たい」

「朝行と呼んでいますか。二人の顔を見たいですね」

「乳等充分ありますか。ボチボチはい回る頃でしょう。僕が帰る頃は二人共歩いて駅まで出迎えてくれる等と思うと本当に親の情がこみ上げて来ます」

戦争の中にあっても、甫さんの妻子への愛情は変わることなく、手紙を通して伝えられました。

【画像提供:日本ニュース24時間