福岡県飯塚市長・片峯誠さん がん転移後も職務全う「一緒に元気な飯塚をつくりましょう」と決意

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福岡県飯塚市の市長である片峯誠さんは、がんの転移を受けながらも、市民のために職務を全うし続ける姿勢を見せています。彼の決意は、飯塚市を元気にすることです。

麻雀好きの市長が繰り広げた波乱の過去

ドクター和のニッポン臨終図巻では、2016年12月に飯塚市の市長と副市長が仕事をサボって賭け麻雀をしていた事件が明るみに出たことをご存知の方もいるでしょう。この事件で2人は辞職しました。

その後、無所属新人の片峯誠市長が選ばれました。彼は賭け麻雀の過去を認めながらも、一生麻雀をしないことを宣言しました。「私たちは公務員であるという意識を示したい」と言いました。彼の素直な姿勢は、多くの人に感銘を与えました。

市民からの支持も高く、片峯市長は2期目を務めることとなりました。しかし、9月25日に飯塚市内の病院で肺がんのため亡くなりました。享年67歳です。

片峯市長は今年2月に「進展型小細胞肺がん」のステージ4と診断され、治療入院しました。退院後、3月には市役所で記者会見を行いました。「抗がん剤治療がうまくいっている。現時点では引退するつもりはない」と述べていました。彼の決意は、飯塚市を元気にすることです。

がんとの闘い

小細胞肺がんは、悪性度が高く進行が早い特徴を持っています。進展型の場合、外科手術や放射線療法では取り除けない範囲に転移が広がっていることを意味します。これは、仕事を辞める十分な理由になりますが、片峯市長は諦めませんでした。

7月には体調の異変を感じ、定期検診を受けました。その結果、脳に転移が見つかり、緊急手術が行われました。手術後、意識が戻らない状態が続いたため、家族の申し出により、副市長が市長職を代理することになりました。

手術後の記事では、「手術が失敗したのでは?」といった見出しがあり、誤解を生む可能性もあります。しかし、手術は失敗していないはずです。がんの転移巣に対して、完治を目指さずにQOLを高めるための手術が行われることもあるのです。脳に転移した進行したがんに対しても、このような手術が行われることがあります。術後に意識が戻らない可能性もあることは、医師から本人と家族に説明されていたはずです。ですから、術後に痛みを感じることなく、眠るように逝くことができたのではないでしょうか。

最後まで使命を果たす市長

片峯市長は、もともと熱血中学教師としての経歴を持っています。彼は眠りの中でも仕事をしているかもしれません。

この記事の執筆者である長尾和宏医学博士は、日本尊厳死協会副理事長として活動しています。医師としての経験を活かした医療情報を発信すると同時に、映画や出版など幅広いメディアで活動しています。

福岡県飯塚市長の片峯誠さんは、がんとの闘いの中でも市民のために職務を全うしています。その決意は、一緒に元気な飯塚を作り上げることです。彼の姿勢に敬意を払いましょう。

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