「再建格差」の現実:シングルマザーの奮闘が病により崩壊した

佐藤礼子さん(仮名)

佐藤礼子さん(仮名)は、福島から大阪へ避難してきました。彼女はシングルマザーでありながら、3人の子供を育てるために頑張ってきました。しかしそんな彼女も、2019年冬に体調不良により崩壊してしまったのです。

過酷な現実と向き合う日々

佐藤さんは、夫との離婚後に高校生から小学生までの3人の子供を一人で育てることになりました。彼女はそれまで一生懸命働いてきましたが、体が限界を迎えてしまったのです。福島市には両親がいるものの、頼ることが難しくなっていました。なぜなら、彼女たちは東京電力福島第一原発事故のために避難してきたのです。

避難指示区域の外にあった自宅

2011年3月11日までは、佐藤さんは夫と3人の子供、義理の両親とともに福島市で暮らしていました。休日には車好きの夫と一緒にドライブに出かけ、吾妻山や宮城、栃木などに足を運んだこともありました。彼女は母親と近くのショッピングモールに買い物に行ったり、ママさんバレーチームで汗を流すこともありました。

しかしこの生活は、一瞬で崩れ去ってしまったのです。原発事故が起きてからは、テレビでは青空の下で白煙を上げる原子炉建屋の映像が連日流されました。佐藤さんの自宅は原発から約60キロ離れていましたが、風向きの影響か、放射線量が高い地域は北西方向に広がっていきました。そのため、日に日に人々が街を離れるようになりました。スーパーマーケットでは県外産の野菜が売れ、地元産は売れ残ってしまいました。子供たちと外出する際には、草や土に触れないように気をつけるようになりました。

大阪への避難と再出発

佐藤さんは悩み抜いた末に、避難することを決意しました。夫は最初は消極的でしたが、1年の説得の末、彼女と子供たちは福島に残る夫を置いて大阪へと移住することになりました。大阪は彼女たちにとって初めての街でしたが、事前の調査で住宅支援が手厚く感じられたからです。

たどり着いたのは大阪府営住宅の3階でした。新しい窓から外を見ると、小さな公園がありました。子供たちは喜んで飛び出していきます。滑り台とブランコぐらいしかないですが、もう草や土に触れても大丈夫でした。「当たり前のことがこんなにうれしいんだ」と佐藤さんは心から安堵しました。

一人で稼ぐ大変さと向き合う日々

数年後には福島に戻る予定でしたが、大阪での友人が増えたため、子供たちはなかなか帰る気がありませんでした。夫との帰還の意見が合わなくなり、2016年末には離婚してしまいました。これからは一人で稼がなければなりません。収入を増やすためにパートを辞め、フルタイムの仕事として福祉施設の事務職を得ました。

この物語は、シングルマザーとしての佐藤さんの奮闘を描いたものです。彼女は再建の困難さを乗り越えるために日々頑張っています。我々は彼女の姿から、再建格差という現実を考えさせられます。

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