都戦没者追悼式に677人 11歳が遺族代表あいさつ

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大勢の遺族らが参加した戦没者追悼式=15日午後、文京区の文京シビックホール(天野健作撮影)
大勢の遺族らが参加した戦没者追悼式=15日午後、文京区の文京シビックホール(天野健作撮影)

 74回目の終戦の日を迎えた15日、都内各地でも戦没者追悼式や戦争に関する行事が催され、参加者は犠牲者の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにしていた。都主催の追悼式は文京シビックホール(文京区)で営まれ、遺族ら677人が出席した。

 都の追悼式で、小池百合子知事は式辞で「昭和から平成、そして令和へと元号も改まったが、いまなお戦争の残酷さ、悲惨さに痛惜の念、極まりないものがある。オリンピック・パラリンピックまであと1年。この平和の祭典を必ず成功させ、平和な世界を次世代へと引き継ぐ」と述べた。

 参列者の最高齢は97歳、最年少は6歳。遺族代表として、狛江市の武藤孝行さん(77)と、北区の松原瑠子(りこ)さん(11)=お茶の水女子大付属小5年=が壇上に立った。

 武藤さんは父親が東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で戦死したことに触れ、「遺族の切なる願いは、2度と戦争はあってはならない。起こしてはならないということ。戦争を知らない次世代に語り継ぐことがわれわれの務めだ」と述べた。

 「今の平和な時代が、(戦争で)犠牲になった人たちの国の平和と家族の幸福を願う強い思いの上に築かれていることをきちんと受け止め、忘れてはいけない」

 遺族代表として、松原瑠子さんは前を見据え、しっかりと誓った。

 瑠子さんの祖父、茂さんの兄2人はマリアナ群島で戦死した。祖父も特攻隊に志願したが、出撃命令が出る前に終戦を迎えた。祖父は27年前に死去しており、瑠子さんは祖父の顔を知らない。

 しかし、父の義孝さん(54)からは「おじいさんが特攻隊に出撃していたら、お父さんもお前もこの世に生まれていないのだよ」と聞かされてきた。

 瑠子さんは戦争について「学校の授業でもまだあんまり習っていない。テレビで見るような知識しかない。でも私の知っていることはみんなに伝えていきたい」と願う。

 今回、追悼の言葉を依頼されたとき「ちょっと恥ずかしいな」と思ったが、「こんな機会はない」と快諾。言葉の最後を「父が祖父の思いを引き継いだように、私も父の思いを受け継いでいこうと思います」と結んだ。そして無事に務めを終え、「緊張した」と笑顔を見せた。

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