76歳の無事故無違反の男性が決意、「誰か傷つける前に」

札幌運転免許試験場で運転シミュレーションを体験する男性

11月中旬のある日曜日、札幌運転免許試験場は更新手続きで混雑していた。その場で、一人の男性が新しい免許証の代わりに小さなカードを受け取った。そのカードには「長い間、安全運転にご協力いただきありがとうございました」と感謝の言葉が記されていた。男性は笑顔でそのカードを手にし、寂しさを抱えながらも、「誰かを傷つける前に、と思い切って区切りをつけました」と語った。彼の名前は岩城忠弘さん。76歳であり、彼の長男と妻が彼を見送りに付き添っていた。

高齢運転者による事故の背景

この決断に至った理由は、最近報道された高齢運転者による事故のニュースに触れたことによるものだった。特に、彼の心に刺さったのは、10月17日に釧路市で発生した事故だった。77歳の男性がアクセルとブレーキを踏み間違え、4歳の女児が死亡したのだ。岩城さんはこの事件を知り、「つらい話だ。誰も事故を起こしたくないものだが、能力の衰えは自分では気づけない」としみじみと話した。

岩城さんは18歳のときに免許を取得し、その40年間は無事故無違反の模範的なドライバーだった。しかし、今年の免許更新では75歳以上に義務づけられた認知機能検査で基準に数点及ばず、再検査が必要となった。

家族の応援と決意

その結果を知った岩城さんは驚きと戸惑いを覚えた。「うそだ」と思ったほどだ。再検査を受けて免許を更新することもできたが、家族が心配したため、返納を勧められたのだ。

岩城さんは妻と二人で札幌市内で生活している。彼は市内で働き、週末には家で家事を手伝ってくれる長男から、「お父さんが運転できなくなっても、自分が車に乗せるよ」と言われたという。「まだまだ自分の運転能力に自信があるが、客観的に見れば怪しい部分もあるのかもしれない」と葛藤しながら、岩城さんは免許を手放すことを決めた。

この決断には家族から温かい支えがあった。返納手続きが終わった後、妻は「長い間お疲れ様でした。返納はいずれ私も辿る道ですが、決断は間違いなかったと思います」と声をかけた。三人は晴れやかな表情で、小雪が舞う免許試験場を後にした。

高齢運転者の事故が増加

今年、北海道で発生した75歳以上の高齢者による交通事故は、10月末時点で835件に上り、昨年同期比164件増加している。また、アクセルの踏み間違いが原因の人身事故は81件あり、そのうち半数以上の42件は65歳以上のドライバーによるものだった。

国では2022年から、違反歴のある75歳以上の高齢運転者には免許更新時の運転技能検査が義務づけられることになった。認知機能検査は2009年から義務化されており、個々の状況に応じた免許の返納を呼びかけている。

こうした流れの中で、道内でも免許の自主返納が進んでいる。65歳以上の自主返納数は2012年には約3000件だったが、2022年には約1万6000件に増加した。自主返納率は約1.9%で、全国平均の約2.2%と大きな差はない。

ただし、道内においても、住む場所や状況によって免許の返納にハードルが高くなる場合がある。道警交通部の前田和仁管理官は、「北海道は広大な土地であり、都市間の距離が長いため、公共交通機関が行き届かない地域もあります。一人暮らしの高齢者などは、免許の返納が難しい場合も多いです」と話している。それに加えて、「自治体によっては、バスやタクシーの料金を一部負担するなどの支援制度もあります。可能な範囲で、免許の返納を検討してほしい」とも語った。

高齢運転者に向けた取り組み

北海道警察は、高齢運転者の事故防止に向けて、さまざまな取り組みを行っている。

11月12日には、札幌運転免許試験場で運転支援機能のあるサポートカーの試乗や、モニターを見ながら運転シミュレーションができる道警の安全運転教育車「ほくと号」の体験会が開催された。免許の交付を待つ高齢者に対して、職員が「サポカーの試乗はいかがですか」「反射神経を計測するゲームがありますよ」と声をかけた。

参加した70歳の男性は、「サポカーの自動ブレーキ機能には驚かされました。年を取ると反射神経が鈍るため、これを使うことで事故防止に役立つと思います。私は仕事で車を使う必要があるので、十分に注意して運転したいと思います」と意気込んでいた。

前田管理官は、「安全教育は運転技能の向上だけでなく、能力の低下に気づくきっかけにもなります。一人でも高齢者の事故が減れば、私たちの目標は達成されたと言えるでしょう」と語った。

取材・文:後藤佳怜

ソース:https://news.yahoo.co.jp/articles/8181acaaf1c5a9eb4569e339562a7a6cf9a38da3