イスラエルへの抵抗運動に身を投じた青年時代
イスラエル軍によって死亡が確認された、パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスの最高指導者、ヤヒヤ・シンワル氏。1年以上にわたり行方を追われていたシンワル氏とは、一体どんな人物だったのでしょうか?
ガザ地区で支持者に手を振るシンワル氏
1962年、ガザ地区南部ハンユニスの難民キャンプに生まれたシンワル氏。両親は現在のイスラエル南部アシュケロンに住んでいましたが、イスラエル建国に伴いガザに逃れてきました。
大学時代からイスラエルに対する抵抗運動に身を投じ、87年に結成されたハマスに参加。スパイ摘発活動に従事し、その残酷な手法から「ハンユニスの殺し屋」の異名をとりました。
投獄、釈放、そしてハマス指導者へ
88年にはイスラエル兵やスパイ殺害の罪でイスラエルに拘束され、終身刑を言い渡されます。しかし、獄中でもストライキを主導するなど指導力を発揮。ヘブライ語やイスラエル社会についても学んだとされています。
2011年、ハマスが拉致したイスラエル兵との人質交換で、シンワル氏を含む約1000人のパレスチナ人が解放されます。ガザ地区に戻ったシンワル氏は、2017年にはガザ地区のトップに就任。イランとの関係を深め、軍事力を強化しました。
ハマスによる越境攻撃を首謀
2023年10月のハマスによる越境攻撃は、シンワル氏が軍事部門トップと計画・実行したとされています。ハマスはこれまでにもイスラエルへのロケット弾攻撃を繰り返していましたが、2021年5月以降は意図的に衝突を避け、越境攻撃の準備を進めていたとみられています。
イスラエル軍との戦闘が始まると、シンワル氏はガザ地区に張り巡らされたトンネル内に潜伏。停戦交渉でも大きな決定権を握っていましたが、交渉団との連絡に数日かかることもあったといいます。
ハマス最高指導者への就任、そして最期
2024年7月末に当時の最高指導者が殺害されると、シンワル氏が後継に選出されました。ガザ地区に精通しており、軍事部門での経験もあることから「全会一致」での選出だったとされています。
イスラエル軍は、ガザ地区南部に潜伏しているシンワル氏に関する情報を入手。軍事作戦の結果、シンワル氏を含む戦闘員3人を殺害したと発表しました。
波乱の人生を歩んだシンワル氏。彼の死は、今後のイスラエルとハマスの関係に大きな影響を与えることは間違いありません。