「一緒に死のうか?」不登校で暴れる娘に母が包丁を突きつけ…「40年間無職の女性」が問題児となった意外なきっかけ


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● いじめ、不登校、潔癖症…… 人生を暗転させた「引越し」

 ちっぽけな私の人生が最初に“暗転”したのは、小学校1年生の中期くらいのことだった。生まれ育った愛着のある川崎市から、父の仕事の関係で千葉県の市原市という長閑な場所へ引っ越すことになったのだ。臆病ながらも友だちができて、楽しく学校生活を送っていた私にとって、それはとても大きな出来事だった。

 川崎にいた頃は、4階建ての、エレベーターもついていないような古くて小さなマンションに住んでいたのだが、母方の叔父と叔母も別の階に住んでいて、よく可愛がってもらっていた。引っ越し当日、ふたりに見送ってもらいながら、私は涙でグチャグチャの顔をしていたと思う。別れの辛さを味わったのは、このときが初めてだったかもしれない。

 そして、引っ越し先に向かう車窓から、生まれて初めて田んぼを見たときの、あの「遠いところに来てしまった……」という寂しい感覚は今でも忘れられない。

 恥ずかしがり屋の内弁慶な性格だった私は、その環境の大きな変化に案の定、うまく対応できなかった。

 時期外れの転校生に浮足立っていたであろうクラスメートたちをがっかりさせてしまったのを肌で感じた私は、さらに落ち込むという悪循環。それでも、物珍しい転校生である私に優しく接してくれる同級生はいたが、同時に意地悪な女の子に目をつけられて、いじめられもした。

 と、言っても、小学1年生の“ソレ”は、小声で悪口を言われるという程度の軽いもので済んだので、トラウマになることもなかった。

 そうして新天地での、低空かつ、ほろ苦いスタートを切ることとなった。

● 「父の水虫」が 精神不安定の原因に

 引っ越してからというもの、何か全てがうまくいかないような引っかかりを感じていた。

 駅へ向かうバスひとつとっても、1本逃すと長く待たなければならない。そんな環境にも正直、戸惑っていた。その困惑は、前の学校の大好きな友だちからの手紙に返信することができないほど、大きいものだった。今から思えば、相当なストレスがかかっていたとわかる。



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