上皇と美智子さまの「結婚」に抵抗していた「反対勢力」が、力を失っていった理由


【写真】皇室記者が現場で感じた、新天皇夫妻と上皇夫妻の「大きな違い」

この記事では、1958年11月、美智子さまが皇太子妃となることが発表されたあと、それまで結婚に反対していた人々が、どのように変化していったかを、『比翼の象徴』の中巻より抜粋・編集してお届けします。

ミッチー・ブーム

三十日の新聞には「ミッチー・ブーム」という見出しが登場している。美智子の行く先々で、彼女を一目見ようと黒山の人だかりになるほか、ファッションも注目され「ミッチー・ライン」なるニューモードが流行し始めているというもの。ミッチー・ラインは銀座の洋装店が命名したもので「金茶、クリーム系の色で七分そで、えりぐりを大きくして胸は大きなV字型、ウエストを細くしめ、ヒダを少なくフレヤーをペチコートで強調するアフタヌーン。それにミンクのストールをかけ、頭はグレーのプリンセス・ハット」なるものだという。

日本のファッション・デザイナーたちは競って「プリンセス・ルック」をデザインするようになる。記事では産まれたばかりの赤ん坊に「美智子」と名づける親の話なども紹介している。

十二月一日夜は美智子の婚約を祝って、地元の品川区五反田の商店会、町内会による提灯行列が行われた。二千に近い人々が「奉祝 美智子さんおめでとう」と書かれた電飾プラカードやブラスバンドで池田山の正田邸に押しかけ、バンザイを連呼。まるで戦勝祝いのようなお祭り騒ぎになった。

この年の読売新聞の読者が選ぶ十大ニュースでは、皇太子妃決定がほぼ満票の一位だった。「一九五八年はさまざまなブームの年だった。いわく裕次郎ブーム、長嶋ブーム、それに電気ガマとフラ・フープ。だが“ミッチ旋風”はこれらのもろもろのブームを一気に吹っ飛ばしてしまった」と書く新聞もあった。



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