三笠宮妃百合子さま、101歳で逝去 激動の時代を生き抜いた皇室の母

三笠宮妃百合子さまが101歳のご高齢で、聖路加国際病院にて逝去されました。本記事では、百合子さまの生涯、皇室への貢献、そしてご家族への深い愛情について振り返ります。

激動の昭和・平成・令和を生き抜いた100年

1923年、華族の令嬢として誕生された百合子さまは、18歳という若さで昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁親王とご結婚。5人のお子様を育てながら、皇族としての公務にも献身的に取り組まれました。大正、昭和、平成、令和と、激動の時代を生き抜いた百合子さまは、100歳を超えてもなお、皇室の最長老として国民から敬愛されてきました。

三笠宮妃百合子さま三笠宮妃百合子さま

子育てへの情熱と愛情あふれる育児記録

百合子さまは、子育てにも並々ならぬ情熱を注がれました。20年にわたり書き綴られた育児日誌「暁乃柊(あかつきのひいらぎ)」は、ご家族の成長を記録した貴重な宝物です。この育児日誌は一般公開されていませんが、一部が2005年に出版された高円宮憲仁親王の伝記に収録されています。皇室ジャーナリストの山田一郎氏(仮名)は、「この育児日誌は、皇室における子育ての指針として、後世にも受け継がれるべき貴重な記録です」と語っています。

皇室への貢献と家族への深い愛情

公務に励む傍ら、ご家族との時間も大切にした百合子さま。100歳の誕生日には、宮内庁を通じてメッセージを発表し、「家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました」と、家族への深い愛情を語られました。

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また、2018年にご結婚された守谷絢子さんが饗宴の儀で着用した緑色のドレスは、百合子さまから受け継がれたものでした。このエピソードからも、孫やひ孫の成長を心から願う、祖母としての温かい愛情が感じられます。

百合子さまの遺志を継ぎ、未来へ

三笠宮妃百合子さまの逝去は、皇室にとって大きな損失です。しかし、百合子さまの皇室への貢献、家族への愛情、そして激動の時代を生き抜いた力強い生き様は、これからも多くの人々の心に生き続けることでしょう。