日本の鉄道旅の風物詩、車内販売。近年、東海道新幹線をはじめ、多くの路線でその姿を消しつつあります。この記事では、車内販売の歴史を紐解きながら、駅弁との関係性や、変化していく鉄道サービスの現状を探ります。
車内販売、その歴史は明治時代から
実は、鉄道車両内での物品販売は明治時代から存在していました。1897年には北越鉄道(現JR信越本線の一部)で、寿司やサンドイッチ、果物、お酒など、多様な商品が販売されていた記録が残っています。また、四国の讃岐鉄道(現JR予讃線、土讃線の一部)でも1900年に三等車内で食品や果物の販売が行われていました。当時、一・二等車には喫茶室があったため、三等車では物品販売という形でサービスを提供していたようです。
明治時代の車内販売をイメージしたイラスト
しかし、当時はまだ車内販売は一般的ではなく、多くの乗客は駅弁に頼っていました。1927年に鉄道省が夏期の車内販売を提案した際も、門司鉄道局は「主要駅で販売されているので不要」と反対するなど、普及には時間がかかったようです。
駅弁販売が少ない地域で発展した車内販売
興味深いことに、東北地方や北海道など、駅弁販売が少ない地域では、早くから車内販売が行われていたようです。これは、乗客のニーズに応えるための地域独自の工夫と言えるでしょう。
駅弁売りの風景
その後、1934年に鉄道省が旅客サービス向上のため、食堂車のない列車で試験的に弁当やお茶の販売を開始。好評を得たことで、翌年には正式な販売手続きが定められました。 戦時中は一時中断されましたが、戦後には食糧事情が安定していた地方線区で再開。大陸からの引揚者の移動を支援するため、政府の指示によるものでした。
新幹線開業と車内販売の進化
1958年、国鉄は現在のようなワゴンを使った車内販売を開始。これは将来の食堂車連結を見据えた要員育成を目的としており、当時の食糧供給の中心は食堂車でした。1964年の東海道新幹線開業も視野に入れていたのです。
新幹線ビュッフェに導入された電子レンジは「食品を秒で温める」と話題になり、セルフサービス式の営業など、後の外食産業の礎を築きました。しかし、皮肉にもこれが食堂車だけでなく、車内販売の衰退にもつながっていくことになります。
車内販売の未来
時代の変化とともに、人々のライフスタイルやニーズも多様化しています。駅弁文化の根強い地域、利便性を重視する乗客、多様なニーズに応えるためには、鉄道会社も柔軟なサービス提供が求められています。 車内販売は姿を消しつつありますが、その歴史と進化は、日本の鉄道サービスの変遷を物語っています。
まとめ
この記事では、車内販売の歴史を振り返り、駅弁との関係や、時代の変化によるサービスの変遷を考察しました。 かつての活気を取り戻すことは難しいかもしれませんが、鉄道会社には、乗客のニーズを捉えた新たなサービスの創出が期待されます。