奥田民生さんがソロデビューシングル「愛のために」をリリースしてから、今年で30年。ユニコーン解散からソロ活動への転身、そして数々の名曲を生み出してきた奥田さんの軌跡を振り返りながら、今回は特に「息子」という楽曲に焦点を当て、その誕生秘話や奥田さん独自の曲作りの秘密を探っていきます。
サラリーマン経験なしで描く「働く男」の悲哀、そして「息子」へ
1994年、ユニコーン解散後、ソロ活動をスタートさせた奥田民生さん。翌年リリースされた「息子」は、父親が息子に語りかけるような歌詞が印象的な楽曲です。当時、この曲は実体験に基づいていると勘違いしていた人も多かったのではないでしょうか。実は、奥田さんには当時子供はいませんでした。
ユニコーン時代から「大迷惑」や「働く男」といった楽曲で、サラリーマン経験がないにも関わらず、働く男性の心情を巧みに表現してきた奥田さん。だからこそ、「息子」のような楽曲も自然と生まれたのかもしれません。
奥田民生さん ©三浦憲治
インタビューで奥田さんは、「もし本当に息子がいたら、こんな曲は作らなかったと思う」と語っています。(出典:『月刊カドカワ』1995年5月号) 想像力こそが、奥田さんの歌詞の源泉と言えるでしょう。著名な作詞家、松本隆さんも「想像力は才能である」と述べています。リアリティを超えた空想の世界だからこそ、聴く人の心に深く響く歌詞が生まれるのかもしれません。
メロディが言葉になる、奥田民生流の曲作り
奥田さんの曲作りは、メロディが先行し、歌詞は後から付けられるという独特のスタイルです。「メロディが言葉のように聞こえてくる」と語る奥田さん。時には「だな」や「なあ」といった短い音から歌詞が発展していくこともあるそうです。(出典:『ダ・ヴィンチ』2000年4月号)
奥田民生さんの若い頃
意味よりも音の感触を重視し、メロディが呼び起こすイメージを大切にしながら歌詞を紡いでいく。この独自の感性が、奥田民生さんの楽曲の魅力の1つと言えるでしょう。音楽評論家の市川哲史氏も、奥田さんのメロディセンスを「天才的」と評しています。シンプルなメロディの中に、深い情感や奥行きが感じられるのは、まさにこの曲作りの手法によるものかもしれません。
30年の時を経て、今もなお輝き続ける名曲たち
ソロデビューから30年。奥田民生さんの音楽は、時代を超えて多くの人々に愛され続けています。「息子」をはじめとする数々の名曲は、これからも私たちに感動を与え続けてくれるでしょう。