百合子さま薨去、101歳の人生と三笠宮家の現状

三笠宮家の百合子さまが101歳で薨去されました。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜かれた百合子さまの人生を振り返りつつ、現在、三笠宮家が直面する課題について掘り下げていきます。

激動の時代を生きた百合子さまの生涯

1923年、旧華族・高木正得氏の次女として誕生した百合子さまは、18歳で三笠宮崇仁さまとご結婚。真珠湾攻撃の前夜に結婚晩餐会が行われたというエピソードからも、激動の時代を象徴する人生であったことが伺えます。東京大空襲では宮邸が全焼するなど、戦争の苦難も経験されました。5人のお子さまに恵まれましたが、高円宮、寬仁さま、桂宮という3人の皇子を亡くされるという悲しみも味わいました。75年間連れ添った崇仁さまが2016年に薨去された後は、三笠宮家の当主として家を守ってこられました。

百合子さま百合子さま

百合子さまと交流のあった民族衣裳文化普及協会関係者の水島博子さん(85)は、昨年6月に行われた百合子さまの100歳のお祝いの集まりで、毅然としたお姿と、すっと通るお声に感銘を受けたといいます。百合子さまのご逝去は、多くの人々に深い悲しみと感謝の思いを残しました。

三笠宮家が抱える「分裂状態」の課題

百合子さまのご逝去という大きな悲しみに加え、三笠宮家は深刻な問題に直面しています。それは、家族間の確執による「分裂状態」です。

寬仁親王妃・信子さまは2004年以降、寛仁親王邸(現・三笠宮東邸)から離れて生活されています。夫婦仲の悪化、DVなどが原因と報じられており、2012年の寬仁さまの葬儀にも参列されませんでした。

百合子さまとご家族百合子さまとご家族

また、長女の彬子さまは、2015年の「文藝春秋」の手記で、両親の確執や、10年以上母親としっかり話をしていないことを明かしています。彬子さまは京都産業大学で特別教授を務めており、京都と東京を行き来する生活を送られています。

彬子さまと瑶子さまの確執

さらに、彬子さまと妹の瑶子さまの間にも溝があると言われています。彬子さまが京都に滞在している間、宮邸の管理は瑶子さまが担っていますが、瑶子さまはそれに不満を抱えているとのこと。周囲には、「宮邸に住まずに、2人とも勝手」と漏らしているそうです。

三笠宮家の未来

百合子さまという精神的な支柱を失った三笠宮家。家族間の確執という難しい問題を抱え、今後の動向が注目されます。国民は、三笠宮家の未来が穏やかであることを願っています。