日本のアニメ史を彩る名作たち。しかし、中には突然の終わりを迎えた作品も少なくありません。視聴率の低迷だけが理由なのでしょうか?今回は、昭和の名作アニメが打ち切られた本当の理由、そしてその最終回がどのように幕を閉じたのかを探っていきます。
視聴率低迷だけじゃない!アニメ打ち切りの意外な理由
昭和のアニメは、今と比べて長いクールで放送されるのが一般的でした。しかし、必ずしも完走できるとは限らず、様々な事情で突然終了を迎えた作品も存在します。
テッカマン、ミンキーモモ…時代の波に翻弄された名作たち
1975年放送の『宇宙の騎士テッカマン』は、タツノコプロが手掛けたSFアニメ。環境汚染が進んだ地球を飛び出し、新たな安住の地を求める人類と、悪党星団ワルダスターの戦いを描きました。しかし、当時は宇宙をテーマにしたSFアニメが苦戦を強いられていた時代。『宇宙戦艦ヤマト』でさえ視聴率に苦しんでいたのです。『宇宙の騎士テッカマン』も例外ではなく、低迷する視聴率から1年間の放送予定が半年で打ち切りに。最終回はワルダスターとの決戦を迎えることなく、敵の大要塞空母に突撃するテッカマンの姿で唐突に幕を閉じました。
宇宙の騎士テッカマンの最終回のワンシーン
視聴率低迷による打ち切りは、他の作品にも見られます。1982年放送の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、クオリティの高い内容と作画で多くのファンを魅了した魔法少女アニメ。しかし、関連玩具の売り上げが伸び悩んだことから、スポンサーの意向で打ち切りが決定。スタッフの反対もあり、全46話で最終回を迎えましたが、主人公のミンキーモモが交通事故で亡くなるという衝撃的な結末となりました。シリーズ構成・脚本を担当した首藤剛志氏によると、この結末は、いつ打ち切りになっても対応できるよう、あらかじめ用意されていたシナリオだったそうです。当時のアニメ制作の厳しい現実を物語っています。
モスクワ五輪の影響を受けた「はいからさんが通る」
大正時代を舞台に、おてんばな主人公・花村紅緒と許嫁・伊集院忍の恋を描いた『はいからさんが通る』も、1年間の放送予定が半年で打ち切りとなりました。その理由は、視聴率でも玩具の売り上げでもなく、1980年のモスクワオリンピック。アニメの放送枠がオリンピック中継に取られ、残り3話で完結せざるを得なくなったのです。
はいからさんが通る Blu-ray BOX
最終回は物語の大部分がカットされ、失意の紅緒が突然少尉と結ばれるという唐突な展開に。少尉は記憶喪失でしたが、その回復過程は描かれず、突然のハッピーエンドとなりました。この結末は制作元の日本アニメーションにとっても心残りだったようで、後に原作者の大和和紀氏に完結版制作を打診。2017年に劇場版が制作され、TVアニメでは描かれなかった原作のラストが映像化されました。
打ち切りの裏側にある、アニメ制作の現実
これらの事例から、昭和のアニメ制作は、視聴率やスポンサーの影響を大きく受けていたことが分かります。突然の打ち切りは、制作者や視聴者にとって悲しい出来事ですが、その裏側には、時代の流れや様々な事情が複雑に絡み合っていたのです。アニメ史を振り返ることで、作品への理解がより深まるのではないでしょうか。