この記事では、山口県宇部市にあった長生炭鉱で起きた水没事故について、その歴史的背景、事故の真相、そして現在も続く遺骨返還への取り組みについて詳しく解説します。
長生炭鉱水没事故とは?
1942年2月3日、長生炭鉱で発生した水没事故は、183人の尊い命を奪いました。犠牲者の大半、実に136人(74.3%)は朝鮮人労働者でした。当時、国家総動員法の下、多くの朝鮮人が強制的に労働力として動員されていました。長生炭鉱も例外ではなく、「朝鮮炭鉱」と呼ばれるほど、多くの朝鮮人労働者が過酷な環境下で働かされていました。
長生炭鉱水没事故の追悼碑建設に尽力した井上洋子共同代表
事故当日、「大出しの日」として石炭1,000函の供出が求められ、安全対策を無視した無理な採掘が行われた結果、この悲劇が起こりました。まさに「人災」と言えるでしょう。戦後、朝鮮人労働者が帰国したことで、この事故は長い間、歴史の闇に葬り去られていました。
歴史の闇から掘り起こされた真実
1976年、郷土史研究家の山口武信氏が、この事故を再び世に問う論文を発表しました。これをきっかけに、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、刻む会)が1991年に結成され、追悼碑建設、ピーヤ(海底炭鉱への通路)の保存、証言・資料収集などの活動を通して、真相究明と歴史への記録に取り組んできました。
「刻む会」の調査により、朝鮮人労働者が強制連行、強制労働させられていた実態が明らかになっています。1939年の特高月報には、41人の朝鮮人労働者が逃亡した記録が残されており、会社側の資料からも、逃亡を防ぐための「合宿所」の存在が確認されています。長生炭鉱は、日本の植民地政策における強制労働の象徴と言える場所です。
遺骨返還への道
2013年、長年の悲願であった追悼碑が建立されました。しかし、韓国の遺族からは「遺骨を取り戻したい」という切実な声が上がり、「刻む会」は遺骨発掘を決意します。
第12回リ・ヨンヒ賞授賞式の様子
莫大な費用と時間を要する海底炭鉱の遺骨発掘。しかし、日韓の市民からの募金や多くの支援により、82年間埋められていた坑口を発見、開通に成功しました。2024年には2度にわたる潜水調査が実施され、遺骨の所在確認に向けた取り組みが進んでいます。
日本政府は「遺骨の具体的な所在が特定できていない」として、国による調査は困難との立場を示しています。しかし、「刻む会」は、日韓両政府が共同で遺骨発掘事業に取り組むことを強く求めています。高齢化する遺族にとって、一刻も早い遺骨返還が待たれています。
未来志向のためにも
2025年は日韓国交正常化60周年を迎えます。「未来志向」を掲げる両国にとって、過去の過ちに向き合い、解決することは不可欠です。長生炭鉱水没事故の真相究明と遺骨返還は、真の和解と未来への第一歩となるはずです。