映画「ゴジラ-1.0」で日本本土防衛の艦として注目を集めた駆逐艦「雪風」。多くの海戦を生き抜いた幸運艦として知られていますが、実は空母にも最強の幸運艦が存在しました。その名は「瑞鶴」。真珠湾攻撃からレイテ沖海戦まで、数々の激戦を戦い抜いた日本海軍の誇る名空母です。今回は、老舗軍事雑誌「丸」で特集された「瑞鶴」の建造秘話に迫り、その知られざる姿をご紹介します。
川崎造船所での建造と想像を絶する軍機密
「瑞鶴」は川崎造船所(現川崎重工業)で建造された空母第一号です。当時の造船所は、軍機密保持の徹底が求められる非常に緊張感のある場所でした。私が入社した昭和9年(1934年)当時、繰り返し聞かされたのは、巡洋戦艦「榛名」の艤装工事の遅延が原因で、責任を感じた名部長が自刃したという話でした。この逸話からも、当時の重苦しい雰囲気が伝わるかと思います。
alt「珊瑚海海戦を終え、呉に帰投した瑞鶴」(月刊誌「丸」提供)
「瑞鶴」は、通称第四号艦と呼ばれ、昭和12(1937)年度からの無条約時代の建艦計画における大型艦4隻(「大和」「武蔵」「翔鶴」そして「瑞鶴」)の1隻でした。海軍の期待も大きく、機密保持は極めて厳重でした。誰かに問い合わせるなど、言語道断でした。
建造中の「迷宮」:複雑な構造と迷子の続出
「瑞鶴」の建造で最も驚かされたのは、その複雑な構造です。工事が進むにつれ、軍艦構造の特殊性を痛感させられました。例えば、「瑞鶴」には12.7センチ高角砲が二連装で片舷4基、合計16門搭載されていましたが、これらの砲には弾薬庫が併設されていました。11層もの甲板を持つ艦内で、目的の弾薬庫に辿り着くには、30以上のマンホールをくぐらなければなりませんでした。
弾薬庫に限らず、艦内では迷子になることが日常茶飯事でした。作業員はマンホールを通るたびにチョークで印をつけなければ、帰り道が分からなくなってしまうほどでした。白いチョークで印をつけた昨日は、今日は赤チョークを使う、といった具合です。うっかり作業服で印をこすって消してしまうと、大変なことでした。
複雑な構造が生んだ悲劇
一度、弾薬庫で煙が発生し、工員が窒息死する事故がありました。たまたま体格の大きな人だったため、運び出すのに大変苦労したのを覚えています。また、部下に現場で会うように指示したものの、結局来なかったこともありました。後で聞くと、道に迷ってしまったとのことでした。当時の「瑞鶴」は、まさに迷宮のような艦だったのです。
「瑞鶴」の活躍と最期
「瑞鶴」は、真珠湾攻撃、インド洋海戦、珊瑚海海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦と、数々の激戦をくぐり抜けました。そして最後は、レイテ沖海戦で囮役を担い、壮絶な最期を遂げました。
「瑞鶴」の建造秘話を通して、当時の日本の造船技術の高さと、戦争の悲惨さを改めて感じることができます。 この機会に、歴史の1ページを紐解いてみてはいかがでしょうか。