韓国で45年ぶりに戒厳令が発令され、国中が騒然となりました。しかし、わずか6時間後には解除。一体何が起きたのでしょうか? 本記事では、この緊迫した数時間の出来事を詳細に解説し、韓国の民主主義の現状に迫ります。
戒厳令発令の背景と尹大統領の決断
2024年12月3日午後10時15分、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は緊急談話を発表し、戒厳令を発令しました。談話の中で尹大統領は、「北朝鮮の脅威と反国家勢力から国を守るため」と戒厳令の理由を説明。 1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺以来、実に45年ぶりの戒厳令発令に、国民は驚きと不安に包まれました。
韓国軍が国会に突入する様子
戒厳司令部が設置され、国会や地方議会の活動停止、報道機関の統制など、市民の自由を制限する布告が出されました。 この強硬な措置に対し、野党や市民からは強い反発の声が上がりました。
国会への突入と市民の抵抗
戒厳令発令後、韓国軍は国会議事堂への突入を試みました。ヘリコプターで議事堂周辺に展開した兵士たちは、窓ガラスを割って建物内に侵入。まるで軍事政権時代を彷彿とさせる光景に、市民は衝撃を受けました。
野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は、市民に国会へ集結し、民主主義を守るよう呼びかけました。 これに応じ、多くの市民が議事堂前に集まり、軍の侵入を阻止しようと体を張って抵抗しました。「尹錫悦を弾劾しろ!」という怒りの声が響き渡りました。
議事堂内でも、職員や野党議員らが人間の鎖を作り、バリケードを築いて抵抗。緊迫した状況の中、国会議員190人が議事堂に駆けつけました。
戒厳令解除への流れ
12月4日未明、駆けつけた190人の国会議員全員の賛成により、戒厳令解除要求決議案が可決されました。 李在明代表は、戒厳令発令自体が違憲であり無効であると強く主張しました。 この国会の決議を受け、尹大統領は再び談話を発表し、戒厳軍の撤退と戒厳令の解除を表明。わずか6時間という異例の短さで、戒厳令は解除されました。
韓国の著名な政治学者、キム・ヨンチョル教授(仮名)は、「今回の戒厳令騒動は、韓国の民主主義が試練にさらされた出来事だった。国民の強い抵抗と国会の迅速な対応が、民主主義を守ったと言えるだろう」と分析しています。
戒厳令解除後の韓国社会
今回の騒動は、韓国社会に大きな波紋を残しました。戒厳令発令の真の目的、尹大統領の真意、そして今後の政局の行方など、多くの疑問が残されています。 今後の韓国政治の動向に、より一層の注目が集まるでしょう。
まとめ:民主主義の勝利
わずか6時間という短い期間ではありましたが、韓国は民主主義の危機を乗り越えました。市民の力強い抵抗、野党の迅速な対応、そして国会の機能が、戒厳令解除の鍵となりました。 この出来事を教訓として、韓国の民主主義がより強固なものとなることを期待します。