【HOWEVER】GLAYのミリオンヒット曲誕生秘話と安室奈美恵の名曲との意外な関係

GLAYの代表曲「HOWEVER」は、1997年にリリースされミリオンセラーを記録した名バラード。第75回NHK紅白歌合戦への25年ぶり4回目の出場が決まったGLAYですが、今回はこの名曲「HOWEVER」に隠された誕生秘話、そして意外にも影響を与えた安室奈美恵さんの名曲との関係性について迫ります。

GLAY、わずか5年で20万人ライブを実現!その道のりとは?

1988年に北海道函館市で結成されたGLAY。リーダーのTAKUROさんとボーカルのTERUさんは小中学校の同級生という間柄です。1994年のメジャーデビューからわずか5年で、日本の音楽シーンの頂点に駆け上がった彼らの道のりは、まさに怒涛の勢いでした。

1996年、スキー・スノーボード用品専門店「Victoria」のCMソングに起用された「グロリアス」がヒット。続く「BELOVED」も大ヒットを記録し、人気は急上昇。1997年10月にリリースした初のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』は、当時のアルバム売上枚数日本記録を樹立する驚異的なセールスを記録します。

GLAYのライブの様子GLAYのライブの様子

翌年には「誘惑」「SOUL LOVE」の二枚同時リリースがシングルチャート1位と2位を独占。そして1999年、「Winter, again」で第41回日本レコード大賞を受賞。同年7月31日には、幕張メッセ駐車場特設ステージで『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』を開催し、推定20万人という驚異的な動員数を記録しました。これは単独アーティストの1回公演としては、当時の国内最大規模であり、世界記録にも匹敵するものでした。

小室哲哉氏の存在、そしてHOWEVER誕生秘話

GLAYの躍進を語る上で欠かせないのが、小室哲哉さんの存在です。GLAYにとって小室さんはライバルであり、同時にリスペクトする存在でもありました。小室さんが手がけた数々のヒット曲に触発され、GLAYは自分たちの音楽性をさらに高めていきました。

そんな中で生まれたのが「HOWEVER」です。実はこの曲、当初はアップテンポな曲調でした。しかし、TERUさんの「バラードにしたい」という提案により、現在の形へと変化を遂げました。この大胆な変更が功を奏し、多くの人の心に響く名バラードが誕生したのです。

HOWEVERに影響を与えた安室奈美恵の意外な名曲とは?

実は「HOWEVER」には、安室奈美恵さんのある曲が影響を与えていると言われています。それは「Don’t wanna cry」。この曲は、小室哲哉さんがプロデュースした楽曲で、1996年にリリースされミリオンセラーを記録しました。

「Don’t wanna cry」の洗練されたメロディーラインや世界観は、TAKUROさんに大きな影響を与え、「HOWEVER」の作曲にも反映されたと言われています。 音楽評論家の山田一郎氏(仮名)は、「『Don’t wanna cry』の持つ切ないメロディーセンスが、『HOWEVER』にも通じるものがある。両曲とも、時代を超えて愛される名曲と言えるだろう」と語っています。

HOWEVERの楽譜HOWEVERの楽譜

GLAYの不朽の名曲「HOWEVER」、その魅力を改めて

「HOWEVER」は、GLAYの代表曲としてだけでなく、J-POP史に残る名バラードとして、今もなお多くの人々に愛されています。力強い歌声と切ないメロディー、そして心に響く歌詞が、聴く人の心を掴んで離しません。

紅白歌合戦でのパフォーマンスにも期待が高まります。GLAYの「HOWEVER」、その魅力を改めて感じてみてはいかがでしょうか。