プロ野球の歴史を語る上で欠かせないのが、2004年の球界再編騒動です。読売新聞グループ本社会長、渡辺恒雄氏の「たかが選手が」という発言は、球界のみならず、日本社会全体に大きな衝撃を与えました。この記事では、この発言の背景、そして球界再編問題の核心に迫ります。
プロ野球界の歪み:「1強11弱」時代
私がスポーツ担当記者としてプロ野球を取材し始めた1980年代、球界は「1強11弱」と呼ばれる状況にありました。読売ジャイアンツの圧倒的な強さと人気は、テレビ放映権料という莫大な収益を生み出し、他の球団との経済格差を拡大させていました。
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セ・リーグの他球団は、年間13試合の巨人戦の放映権料を頼みの綱として、辛うじて黒字を維持していました。パ・リーグに至っては、テレビ放映の機会も少なく、経営難に苦しむ球団が続出していました。パ・リーグはセ・パ交流戦の実施を提案しましたが、巨人戦の放映権料減少を恐れるセ・リーグは、これを拒否し続けました。
巨人の「江川騒動」:球界の権力構造を象徴する事件
巨人の強大な影響力を示す象徴的な出来事が、1973年の「江川騒動」です。ドラフト会議前日に江川卓投手と単独契約するという、野球協約の盲点を突いた行動は、大きな波紋を呼びました。最終的に、阪神タイガースのエース小林繁投手とのトレードという異例の措置で決着しましたが、この出来事は、巨人が球界のルールさえも捻じ曲げる力を持っていることを露呈しました。
パ・リーグ球団の経営難、セ・リーグの巨人依存、そして巨人の強引な手法。これらの要素が絡み合い、球界再編問題へと発展していく土壌が形成されていきました。
2004年:球界再編騒動勃発
2004年、球界再編問題が大きく動き出します。経営難に苦しむ近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併構想が浮上し、選手会は球団数の削減に反対の姿勢を示しました。選手会とオーナー側の対立が深まる中、渡辺恒雄氏は「たかが選手が」と発言し、大きな批判を浴びました。
この発言の真意、そしてその後の球界再編劇については、次回の記事で詳しく解説します。プロ野球の歴史における転換点となったこの騒動を、多角的な視点から検証していきます。