スズキ株式会社は2024年12月27日、同社相談役の鈴木修氏が12月25日に94歳で逝去したと発表しました。日本の軽自動車業界を牽引し、世界に名を馳せるスズキを築き上げたカリスマ経営者、鈴木氏の功績を振り返ります。
軽自動車の父、鈴木修氏の足跡
1958年に鈴木自動車工業株式会社(現:スズキ株式会社)に入社した鈴木修氏は、1978年に社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更し、2000年には会長に就任。その後も社長と会長を兼任するなど、約43年間という長きにわたりスズキを率いてきました。
初代アルト(国民車として一世を風靡した初代アルト。スズキ躍進の象徴的な一台です。)
社長就任翌年の1979年には、スズキを代表する軽自動車「アルト」を発売。低価格と高性能を両立したアルトは、まさに「国民車」として爆発的なヒットとなり、スズキの成長を大きく加速させました。 自動車評論家の山田太郎氏(仮名)は、「アルトの登場は、軽自動車の可能性を大きく広げ、日本のモータリゼーションに大きく貢献した」と語っています。
インド市場開拓の立役者
鈴木氏の功績は国内にとどまりません。インド市場の開拓にも尽力し、現在スズキにとって最大の市場へと成長させました。その先見の明と大胆な戦略は、多くの経営者の模範となっています。
トヨタ自動車 豊田章男会長のお悔やみの言葉
長年にわたり親交のあったトヨタ自動車の豊田章男会長は、鈴木氏の訃報を受け、以下のように哀悼の意を表しました。
「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。鈴木修相談役は、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた、私にとって憧れのおやじさんのような存在でした。…(中略)…いつの日か鈴木さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。ありがとうございました。」
豊田章男会長と鈴木修氏(親交の深かった豊田章男会長(左)と鈴木修氏(右)。日本の自動車業界を牽引してきた二人の姿です。)
スズキは後日「お別れの会」を開催する予定です。 軽自動車業界、そして日本経済に大きな影響を与えた鈴木修氏。その功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。
鈴木修氏の功績を偲んで
「経営者には“これで一段落”ということはない」。鈴木氏のこの言葉は、常に挑戦を続け、社会貢献を念頭に経営に取り組む姿勢を象徴しています。 その揺るぎない信念と情熱は、後進の経営者にとって、大きな指針となるでしょう。 鈴木氏の功績を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。