能登半島地震から一年。あの日から、被災地は少しずつ復興へと歩みを進めています。しかし、大切な家族を失った人々にとって、癒えることのない悲しみ、そして前に進むための葛藤は今もなお続いています。この記事では、地震で妻子4人を亡くした男性が、初めて妻の実家跡を訪れた時の様子をお伝えします。
変わらない悲しみ、変わりゆく風景
2025年1月1日、金沢市の大間圭介さん(42)は、能登半島地震後初めて、石川県珠洲市仁江町にある妻の実家跡を訪れました。昨年元旦、家族5人で新年を祝うために帰省していた矢先に、地震による土砂崩れで家屋は倒壊。妻のはる香さん(当時38)、長女の優香さん(当時11)、長男の泰介さん(当時9)、そして次男の湊介さん(当時3)を失いました。妻の両親、祖父母、義理の姉を含め、9人の親族が犠牲になったのです。
alt 妻の実家跡に佇む大間圭介さん。背景には土砂崩れの爪痕が生々しく残る。
大間さんは、地震発生時の様子が脳裏から離れず、一年もの間、この場所を訪れることができなかったといいます。しかし、あの日から一年という節目に、ついに足を踏み入れました。変わり果てた風景の中、大間さんは何を思い、何を感じたのでしょうか。
花束と供物に込められた想い
実家跡には、土砂や流木が散乱し、震災の爪痕が生々しく残っていました。しかし、その中に、淡いピンクや青色の花が咲いているのを見つけました。大間さんは、「本当に明るい家庭だったから、明るい花を手向けたい」と、色とりどりの花束を用意していたのです。義父が好きだったビール、子どもたちが大好きだったポテトチップスも供え、「ただいま。ありがとう、ごめんね」と静かに手を合わせました。
料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「悲しみの中で、故人の好きだったものを供える行為は、大切な人を偲び、心の中で対話する大切な時間となるでしょう。それは、残された者にとっての心の支えとなり、前を向く力となるはずです」と語っています。
alt 大間さんが供えた花束と供物。家族への想いが込められている。
家族との思い出が詰まった車
土砂に押しつぶされた白いワンボックスカーは、今もなお、そこに残されていました。後部座席には、湊介さんが使っていたチャイルドシートが見えます。家族5人でこの車に乗り、歌いながらこの場所へ来たことを思い出し、大間さんの頬を涙が伝いました。「もう少し右に土砂がそれていてくれたら…」と、裏山に茶色く残る土砂崩れの跡を見ながら、無念さをにじませました。
家族と共に、未来へ
大間さんは、家族の写真も持参していました。「自分だけじゃなく、家族も一緒に。出かけるときはいつも持って出かけているので。家族と一緒に戻ってきたなという思いが強い」と語ります。そして、夏に再びこの場所を訪れることを心に決めているそうです。
「残りの人生、家族の分まで、家族のやりたかったことをしてあげて、一日一日、無駄にせず生きていけたら」と、大間さんは力強く語りました。この言葉は、私たちに、今を大切に生きること、そして大切な人を思い続けることの大切さを改めて教えてくれます。
震災から一年。復興への道のりは長く険しいですが、大間さんのように、前を向き、一歩ずつ進んでいく人々の姿に、私たちは希望を見出すことができます。