硫黄島。太平洋戦争の激戦地として、そして今もなお1万人を超える日本兵が眠る地として、その名は歴史に深く刻まれています。この記事では、民間人の上陸が原則禁止されている硫黄島への特別な旅路と、そこで目にした光景、そして胸に去来した思いについて綴ります。ベストセラーノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』を参考に、知られざる硫黄島の真実にも迫ります。
輸送機C130:入間基地からの出発
埼玉県入間市の航空自衛隊入間基地。硫黄島への旅はここから始まりました。高齢者を中心に37名が集まった収集団の一員として、私も緊張と期待を胸にC130輸送機に乗り込みました。機内は、映画で見たような金属の骨組みがむき出しの姿。轟音とともにプロペラが回転を始め、ハンモックのような座席に揺られながら、硫黄島へと向かう空の旅が始まりました。
入間基地から飛び立つC130輸送機
機体トラブルと再搭乗:予期せぬ出来事
離陸直前、突如として機内に緊張が走りました。機体トラブル発生。全員降機するようにとの指示。搭乗拒否を恐れていた私は、胸が締め付けられる思いでした。幸い、トラブルは軽微なもので、30分ほどで再搭乗。安堵のため息が機内に広がりました。
遺児の祈り:胸を打つ光景
再搭乗後、手荷物の収納について指示が出されました。その時、ある高齢の女性の行動が私の目に留まりました。彼女は、指示に反して菊の花束を入れたトートバッグを足元に置き、片手で大切に支えていました。亡き父に捧げる花束。その姿は、硫黄島に眠る英霊たちへの深い祈りを表しているようでした。誰も彼女を咎める者はいませんでした。
菊の花束を持つ遺児
硫黄島の真実:1万人の行方不明者
硫黄島は、今もなお多くの謎に包まれています。なぜ1万人もの日本兵が行方不明のままなのか?地下壕で何が起きていたのか?『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』の著者であり、軍事史研究家の吉田裕氏(仮名)は、「硫黄島の戦いは、日本軍の組織的な戦闘と、兵士一人ひとりの壮絶な抵抗が複雑に絡み合った悲劇」と語っています。
終わりに:語り継ぐべき歴史
硫黄島への旅は、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識する機会となりました。遺児の祈り、そして今もなお眠る英霊たちの存在は、私たちに歴史の重みを語りかけています。この記憶を風化させることなく、未来へと語り継いでいくことが私たちの責務ではないでしょうか。