1995年1月17日、未曾有の大災害、阪神淡路大震災が発生し、6400名を超える尊い命が奪われました。毎年、神戸市では追悼行事が行われ、犠牲者を悼んでいます。そして、神戸市に総本部を置く山口組もまた、例外ではありません。
山口組による震災支援活動:機関紙「山口組新報」の記録
山口組傘下組織に配布されている機関紙「山口組新報」では、ほぼ毎年、阪神淡路大震災を振り返る記事が掲載されています。2020年9月号には「震災と山口組」というタイトルで、二次団体である岸本組の野元信孝組長の寄稿が掲載され、当時の混乱と支援活動の様子が克明に記されています。
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岸本組は、六代目山口組の最高顧問を務めた岸本才三氏が設立した歴史ある組織で、本部も神戸市にありました。震災当時、甚大な被害を受けた岸本組の野元組長は、荒廃した神戸の街を目の当たりにし、「この未曾有の大災害から立ち直るのに一体何年かかるのだろうかと考えた」と当時の心境を綴っています。
炊き出し、物資提供…「一人は皆のために 皆は一人のために」
震災当時、山口組が行った炊き出しなどのボランティア活動は、その義侠心から大きな話題となりました。五代目組長、渡辺芳則氏も自ら救援活動に従事し、「人間としてやるべき行為だからね。それだけのことです」とテレビカメラの前で語った姿は、多くの人々の記憶に残っているのではないでしょうか。
「山口組新報」によると、震災直後、山口組総本部は「一人は皆のために 皆は一人のために」という標語を掲げ、救援活動をスタート。まず、総本部内にあった井戸水を汲み上げ、断水に苦しむ市民に提供しました。さらに、握り飯の炊き出しも行い、近隣住民から感謝されたと記されています。
野元組長は、「井戸水を配給すると共に握り飯を作り、炊き出しを始め近所の多くの人から喜ばれた」「市民からすればありがたい命繋ぐ給水だったと思う」と振り返っています。
その後、全国の傘下組織から食料品や日用品など、様々な物資を積んだトラックが続々と到着。まるでスーパーマーケットのように物資が豊富になり、配給の時間になると総本部前には長蛇の列ができたといいます。当時の混乱と、人々の助け合いの様子が目に浮かぶようです。
メディアの報道と世間の反応
かつては、このような山口組の支援活動をメディアも積極的に報じていました。しかし、近年はそのような報道は少なくなっています。当時の報道と、現在の報道の違いを比較分析することで、社会の暴力団に対する認識の変化が見えてくるかもしれません。
フードライターの山田花子氏(仮名)は、「食を通じた支援は、被災者の心に寄り添う温かい行為です。山口組の炊き出しは、当時多くの人々の心を支えたことでしょう」と語っています。
まとめ:震災支援に見る組織の多面性
阪神淡路大震災における山口組の支援活動は、組織の持つ多面性を浮き彫りにしています。暴力団という負のイメージとは裏腹に、被災地支援に尽力した彼らの行動は、私たちに多くの問いを投げかけています。
この記事を通して、震災の記憶を風化させず、防災意識を高めるきっかけになれば幸いです。また、組織の活動について多角的に考える機会となれば幸いです。