ヒットメーカー小室哲哉が「自分の時代」の終わりを予感した出来事と、時代に追いつくのが遅れた業界


「刷り込み」によってヒットが生まれた

「この曲、イニシャル(初回出荷枚数)が2万5000枚だったんです。『まあ、そんなに行かないだろうな』と思われていた。それが3ヵ月経って2週連続1位になったのは『ストリートファイターII』の力が大きかった」

1994年7月に発売されたこの曲のオリコン週間シングルランキング初登場順位は20位以下だったが、その年の8月に公開されたアニメーション映画『ストリートファイターII MOVIE』の主題歌に用いられたことで話題を呼び、9月、10月に同ランキングで1位を獲得する。

「映画を観た帰りに、小学生の男の子がお母さんに『これ買って』と言って、置いてあるCDを買ってくれたことで火がついた。映画の力、ゲームの力を借りて、枚数の結果が出た。その実数を見せたことで『売れたんだね。200万枚超えてるんだ』ということが、テレビやメディアにも広がっていった」

90年代のヒットは「指標」ではなく「数字」だった、と小室は強調する。その背景にあったタイアップの仕組みについては「『いい曲』と『売れる曲』の間の架け橋になるもの」と位置づける。

「やっぱり、刷り込みは必要なんですよね。それはたとえば映画でも同じです。たとえ面白くても、公開した時に認知度や知名度がなかったら、そこに人は集まらない。だから上映前に必死にプロモーションをかける。今の時代は、高校生から大人までいろんな人に実際に聴いてもらって『どう思う?』って訊いたら『かっこいい』とか『良い』って言ってくれる曲も多いんですけれど、その手前で、刷り込みができないままで終わっちゃうから沈んでいくような曲もたくさんある」

ヒットを生み出すために重要なのは「刷り込み」だった、と小室は言う。そのために最も効果的だったのが地上波テレビへの露出だった。

「CMでも、ドラマの主題歌でも、地上波のテレビに流れることで、楽曲をみんなに浸透させることができた。やっぱり『月9』が一番強かったですね。番組自体の視聴率も高いし、楽曲が番宣のCMにも使われる。何千万人が一気にそれを聴く。そこからCDが売れて、それがチャート1位になって、また注目を浴びる。相乗効果ですごい波及力を持っていたんです」



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