新たな架橋の必要性
関門海峡には、新しい橋が必要なのだろうか――。
筆者(碓井益男、地方専門ライター)はこれまで、津軽海峡や豊予海峡、紀淡海峡など、日本列島を繋ぐ大規模な架橋計画について紹介してきたが、現在最も現実味を帯びているのが、関門海峡の新たな架橋計画「下関北九州道路」である。しかし、関門海峡には既に橋もトンネルも存在している。なぜ、新たな架橋が必要なのか。この疑問に答えるために、まずは関門海峡の歴史を振り返ってみよう。
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関門海峡は、本州(山口県下関市)と九州(福岡県北九州市)を隔てる海峡で、最も狭い場所ではわずか500mしかない。この地理的特徴から、明治時代には既に鉄道用のトンネルや橋の構想があった。実現には時間がかかったが、1942(昭和17)年には最初の関門トンネルが開通し、下関と門司が鉄道で結ばれた。その後、1975年には新幹線用の新関門トンネルも完成した。
一方、道路面でも1958年に関門国道トンネルが開通。その後、危険物を積んだ車両が通行できないトンネルの制約や輸送量の増加を受け、1973年には関門橋が開通した。鉄道・道路の両方が日本の人流・物流において重要な役割を果たしている。特に関門橋は、中国自動車道と九州自動車道を結ぶ物流の大動脈として、年々その重要性が高まっている。1974年に1日9800台だった通行量は、2022年には3万5400台に達した。
この交通インフラの整備により、下関市と北九州市は県境を越えてひとつの経済圏を形成している。国土交通省の資料によれば、両市を合わせた都市圏人口は約120万人に達し、1日あたり約1万人が海峡を往来している。特に下関市民の北九州市への依存度が高く、下関市の市外通勤者の42.3%が北九州市へ通勤し、買い物客の往来も盛んである。
早鞆ノ瀬戸の交通効率
関門海峡を通る交通インフラは、日本経済の重要な部分を支え、約120万人の都市圏を形成している。しかし、既存の道路には深刻な問題がある。日常的な渋滞に加え、事故や工事による通行止めも頻繁に発生している。橋とトンネルの二重ルートがあるにもかかわらず、安定した交通の確保には至っていない。
さらに、新幹線トンネルを除く交通インフラは、海峡最狭部の早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)付近に集中している点も問題だ。この場所はかつての国際貿易港である門司港に近いが、現在の北九州市の都市構造には効率が悪い。響灘や小倉の中心市街地から離れており、工業地帯や環境関連産業の集積地からも遠い。
これが、関門海峡に新たな架橋が計画された背景である。
このような状況から、下関北九州道路は他の海峡横断プロジェクトとは異なる経緯をたどってきた。1998(平成10)年の第5次全国総合開発計画では、伊勢湾口道路や紀淡連絡道路、豊予海峡道路など、日本各地の海峡を結ぶ大規模な架橋構想が含まれていたが、調査が行われたものの、2008年には財政難を理由に凍結された。しかし、下関北九州道路は例外だった。2016年11月、当時の石井啓一国土交通大臣は国会で
「他の海峡横断プロジェクトとは違いがある」
と明言し、関門海峡を強化することが必然だと認識されるようになった。