現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「ハローワークで在宅の求人を探してはおりますが、一度落ちた会社の求人が多く、応募できる企業もなくなってきました」と編集部にメールをくれた38歳男性だ。
■伝統文化の継承を担うはずだった
車が行きかう街道沿いに、人の気配が消えて久しい木造の建物がある。江戸時代より伝統工芸品を制作する家系が代々切り盛りしてきた工房だ。本当ならヨシツグさん(仮名、38歳)がここで家業を継ぐはずだった。
しかし、今は別の街で障害年金を受けながら暮らす。1年ほど前に勤めていた会社を雇い止めにされた。新しい仕事が見つからないまま、昨年秋には失業保険の給付も切れた。その後はわずかな貯金を切り崩しながら生活している。
「何十社、履歴書を出してもカスリもしない。不採用の連絡の毎日に精神的に疲れてしまいました。ハローワークに行っても、もう応募できる企業がないんです。障害者は生活保護という道しかないのでしょうか」
とどまることを知らない物価高もヨシツグさんの暮らしを圧迫する。最近はカップラーメンすら高くて買えなくなり、袋麺に変えた。スーパーでは鶏肉はブラジル産、豚肉は小間切れと決めている。牛肉はとうの昔に高嶺の花だ。
かつてなく高騰しているというミカンにも手が届かなくなりつつある。先日、6個入り690円の値札が張られているのを見て、手にした袋をそっと棚に戻した。「たしか去年は500円あれば買えたはずですよね」とヨシツグさんが言う。
伝統文化の継承を担うはずだったヨシツグさんの人生はどこで変わってしまったのか。
■怒鳴り合う声が絶えない家だった
物心ついたとき、すでに父親は統合失調症で入退院を繰り返していた。幼稚園のころ、激高した父親が母親の首を締めあげていた光景を鮮明に覚えている。母親は胃潰瘍で入院。ヨシツグさんたちきょうだいもささいなことから平手やこぶしで殴られた。「毎日怒鳴り合う声が絶えない家でした」。