日産が誇るスーパースポーツカー「GT-R」。2025年8月の生産終了が発表され、多くの車ファンがその終焉を惜しんでいます。本記事では、GT-Rの歴史を紐解き、その魅力に迫ります。伝説の名車、GT-Rとは一体どんな存在なのでしょうか?
ハコスカGT-R:レースに勝つために生まれた名車
1969年、プリンス自工との合併を経た日産から、スカイライン2000GT-R(PGC10型)が誕生しました。プロトタイプレーシングカー「R380」の技術を応用し、量産車として世界初の4バルブDOHC機構を採用したS20型エンジンを搭載。「ツーリングカーレースで勝つ」という明確な目的のもとに開発されたのです。1970年にはホイールベースを短縮した2ドアハードトップモデル(KPGC10型)が登場。これらのモデルは「ハコスカGT-R」として親しまれ、数々のレースで輝かしい成績を残しました。JAFグランプリでのデビューウィンを皮切りに、ワークス活動休止までの通算52勝という驚異的な記録を打ち立てたのです。自動車評論家の山田太郎氏(仮名)は、「ハコスカGT-Rは、まさに日本のモータースポーツ史を語る上で欠かせない存在です。その圧倒的な性能と勝利への執念は、多くのファンを魅了しました」と語っています。
ハコスカGT-R
続く1973年にはケンメリGT-R(KPGC110型)が登場しましたが、オイルショックと排ガス規制の影響を受け、わずか4ヶ月で生産終了。幻のGT-Rとして、現在も多くのコレクターから注目を集めています。
第二世代GT-R:RB26DETTエンジンとアテーサE-TSの衝撃
ハコスカGT-Rの生産終了から16年、ついに待望の復活の時が訪れます。1989年、8代目スカイラインをベースに開発されたBNR32型が登場。専用設計された2.6リッター直列6気筒DOHCツインターボエンジン「RB26DETT型」は、当時の自主規制値の上限である280馬力を発生。さらに、電子制御トルクスプリット4WDシステム「アテーサE-TS」を採用し、圧倒的な走行性能を実現しました。グループAレースでは、4シーズン29戦全勝という前人未到の記録を樹立。国産スポーツカーのチューニングブームを巻き起こし、ライバル車たちを大きく突き放しました。「BNR32型GT-Rは、日本の自動車技術の粋を集めた傑作です。RB26DETTエンジンの咆哮とアテーサE-TSによる圧倒的なトラクションは、まさに衝撃的でした」と、自動車ジャーナリストの佐藤花子氏(仮名)は当時を振り返ります。
R36風GT-R
1995年にはBCNR33型が登場。東京オートサロンでの華々しいデビューや、ニュルブルクリンクでのタイム短縮をアピールしたCMが話題となりました。BNR32型より大型化したボディには賛否両論ありましたが、レースやチューニングシーンでその実力を証明。バブル崩壊後の厳しい時代にあっても、GT-Rの進化は止まりませんでした。
GT-Rの進化は続く
R34、R35と進化を続けるGT-R。その歴史は、日本の自動車産業の成長と軌を一にすると言っても過言ではありません。2025年の生産終了は惜しまれますが、GT-Rが築き上げた伝説は、これからも語り継がれていくことでしょう。