【台北=田中靖人】台湾の李登輝政権が1995~96年の台湾海峡危機の後、中国への「抑止力」として準中距離弾道ミサイル(MRBM)の開発を進めていたことが6日、産経新聞が入手した当時の機密資料で分かった。「中距離ミサイル」の開発はこれまで関係者の話として報道されてきたが、公式な文書で弾道ミサイル開発への政権中枢の関与が明らかになるのは初めて。
入手したのは、97年12月17日に開かれた安全保障・外交政策に関する総統の諮問機関「国家安全会議」幹部会議の議事録要旨などのコピー。蒋仲苓(しょう・ちゅうれい)国防部長(国防相に相当)が席上、「国防政策」における「威嚇阻止力(抑止力)」の重要性を強調し、「中距離弾道ミサイルの研究開発が将来、成功すれば、中共(中国)に対し有効な抑止力を持つことができる」と述べたと記されている。
これまでの報道では、李政権期にミサイルの開発計画があったことは報じられてきたが、開発の時期や政権のどのレベルで行われていたかは分かっていなかった。今回の資料で、台湾海峡危機を受けて弾道ミサイルの開発計画が重視され、末端の研究機関ではなく政権全体で推進していたことが判明した。
李政権後の陳水扁政権(2000~08年)で最後の国防部長を務めた蔡明憲氏は11年に出版した回顧録で、08年2月から5月の間に陳氏出席の下でミサイル実験を行い、「中距離ミサイルの射程を越えた」時点で、エンジンを停止させたと記している。この実験に参加した関係者は、産経新聞の取材に「射程は1000キロを超え、実験成功を受け量産に入った」と述べた。また、台湾ではミサイルの射程は(1)短距離は600キロ以内(2)中距離は600~2千キロ(3)長距離は2千キロ以上を指す、と話した。この分類によれば、李政権で開発を目指したミサイルは、米国の基準で呼ぶ「中距離弾道ミサイル」(IRBM、3千~5500キロ)ではなく、「準中距離弾道ミサイル」(MRBM、1千~3千キロ)に当たる。陳政権末期の発射実験が弾道ミサイルだったかは明らかになっていない。