古来より脈々と受け継がれてきた日本の文化。わびさび、数寄、歌舞伎、まねび、そして漫画・アニメ。これらの文化について、私たち日本人はどれほど理解しているでしょうか?本記事では、昨年逝去した知の巨人・松岡正剛氏の著書『日本文化の核心』を紐解きながら、現代に生きる私たち日本人にとって重要なメッセージを読み解いていきます。
神仏習合:日本独自の宗教観の形成
聖徳太子以来、仏教は貴族や豪族の間で氏族仏教として広まり、8世紀初頭の聖武天皇の時代には、国家鎮護のための鎮護仏教が隆盛しました。奈良の南都七大寺もこの頃に建立されています。
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この時期、神社の中に寺院が建てられる神宮寺や、神前で仏教の経典を読誦する神前読経といった神仏習合の現象が見られるようになりました。仏教各派が勢力を拡大し、それぞれの教義を深めていく一方で、神道と融合していくという独特の展開を見せたのです。
顕密体制と日本的霊性:多様化する仏教
仏教は顕教と密教という二つの大きな流れに分かれ、倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗、禅宗、浄土宗といった八宗十宗が成立しました。現在、日本各地に残る寺院の多くは、これらの宗派にルーツを持つと言われています。各宗派はさらに五流八派に分かれ、それぞれが本山や別院を構え、独自の教義を展開していきました。
鎌倉時代中期以降は、法然、親鸞による浄土真宗、日蓮による日蓮宗、一遍による時宗といった新しい宗派が誕生し、禅宗も変容を遂げました。この時期は、まさに日本的仏教が興隆した時代と言えるでしょう。仏教哲学者・鈴木大拙はこの時代の精神性を「日本的霊性」と表現しました。
徳川時代と庶民の仏教:生活に根付く信仰
徳川時代に入ると、寺請制度が確立され、「寺と地縁と檀家」というシステムが形成されました。寺院は葬儀や墓地の管理、戒名の授与などを行うようになり、人々の生活に深く関わっていきました。「おたくの家の宗旨は?」という問いは、この時代の影響を色濃く反映しています。
また、徳川時代には修験道や祈祷師も活躍し、庶民の間では「仏頂面」や「おシャカになる」といった仏教用語に由来する俗語が流行しました。死者を「ホトケさま」と呼ぶようになったのもこの頃です。
日本文化の核心:現代への示唆
松岡正剛氏は、日本文化の核心を「編集力」にあると述べています。様々な要素を取り込み、再構成していくことで、日本独自の文化が形成されてきたのです。神仏習合や多様な仏教宗派の存在は、まさにその象徴と言えるでしょう。現代社会においても、この「編集力」は重要なキーワードとなるのではないでしょうか。多様な文化や価値観が交錯する中で、それらをどのように受け止め、新たな価値を創造していくのか。知の巨人・松岡正剛氏のメッセージは、私たちに多くの示唆を与えてくれます。