環境省の報告によれば、今年4月から10月までのクマによる被害件数は176件、被害者数は196件に上り、これは過去最悪のペースで推移しています。連日、各地でクマの目撃情報や被害報告がニュースで報じられ、私たちの日常を揺るがす中、本誌連載中の俳優・東出昌大氏が寄稿したクマ報道に関する記事が大きな話題を呼びました。様々な意見が飛び交う中、猟師として山に入り続ける東出氏が、その実体験に基づいたさらなる見解を述べます。
日本の山林とクマの生息域を示す風景
檻の中で咆哮するクマ:駆除現場の緊張
「熊が檻に入ったから撃ちに来てくれ」──数日前から桃畑がクマに荒らされ、行政から駆除の許可が下りた後、猟友会のベテラン猟師が仕掛けた箱罠にクマが入ったという連絡が入りました。当時、山から下りてきたばかりで銃を積んだ軽トラックに乗っていた私は、すぐに現場へ駆けつけられる状況にありました。クマ肉が食べられるという期待と、命を奪わなければならないという憂鬱さを同時に抱きながら、私は愛車のギアを鳴らし、田舎道を急ぎました。
畑に到着すると、先輩猟師がお茶を飲みながら日向ぼっこをしていました。罠の場所を案内され、現場に向かうと、箱罠は畑の奥の茂みに、遠くからでは見えにくい場所に設置されていました。しかし、人間が近づいてくる気配に気づいたのか、金属製の檻をバシャンと叩きながら「ゴアァッ!!」と咆哮する声が響きました。
私は銃のカバーを外し、鳥撃ち用の散弾をポケットから取り出しました。通常、狩猟で大型獣を狙う際には貫通力のある一粒弾を使用しますが、罠の中のクマは至近距離で撃てるため、貫通力よりも広範囲に当たる散弾を選びました。これは槍で突くよりも、ハンマーで力強く叩きつけるようなイメージです。着弾が頭頂部であれば、広範囲の脳が破壊され、即座に卒倒するだろうと考えました。
銃口とクマの攻防:命を奪う瞬間の葛藤
クマは近づく私を認めると、数秒間押し黙りました。「コイツハ オレニ 何ヲ シニキタンダ」──私を見定めるような時間です。これまでの山での数年間で、これほど暴れても脱出できない堅牢な金属製の箱に閉じ込められたことは一度もなかったでしょう。自らの人生にとってとんでもない事態に陥っていることは、クマにも察しがついているようでした。
銃に弾を込め、銃口をクマに向けて檻の隙間にゆっくりと近づけていきます。クマは瞬時にその行為が「ナニカ キケン」だと感じ、「ガオオッ!!」と明確な敵意に満ちた声に変え、鉄格子から手を伸ばしては銃口を振り払おうとしました。その剣幕は腹の底に響くほどです。いくら金属製の檻があっても、その檻さえ頼りなく感じてしまうほどに「この相手には勝てない」という絶望的な恐怖感を覚えました。私は頭蓋の中心を撃ち抜き、殺すなら無駄に苦しませたくない一心でした。そして、興奮させすぎれば肉の味も落ちてしまいます。目の前のクマは、箱罠が一瞬浮き上がるほど全身を鉄にぶつけ、憤怒を露わにした興奮は頂点に達していました。銃を差し込むたびにクマは暴れ、剛腕を振るい、強靭な顎で噛みつこうとします。それを避けながら再び銃を差し込むという攻防が数十秒間続きました。
痛恨の初弾、そして絶命
そして数秒、クマの動きが緩慢になった瞬間がありました。「今だっ!」と引き金に指をかけ発砲。その一瞬、銃の照準器の先でクマが首を上に振り上げる素振りが見えました。ドゴォアアァァァンッ!!放たれた銃弾はクマの鼻先から下顎にかけてを吹き飛ばしました。と同時にクマは檻の中で立ち上がろうと窮屈な姿勢になりながら、両手で顔を覆いました。「フゴッ!アァァ〜!」クマの口元から叫びにならない声が漏れ、真っ黒な両手の間からは泡立った鮮血がボトボトと溢れ落ちました。
のたうち回るクマの脳天を銃で追いかけ、数秒後、二の矢を放ちました。ドチャンッとクマは、檻の中で力なく崩れ落ちました。半壊したクマの顔を見て、舌が口から垂れていることを確認します。「野生動物は死ぬとベロを出す」と猟師の間では言われています。しかし、まだすぐに檻は開けません。散弾を受けた頭頂部の傷口からは白い骨やピンクの脳漿も見えていましたが、脳震盪で気絶している可能性も捨てきれなかったからです。動かないことを確認する時間が3分ほどありましたが、クマの死体の横にしゃがみ込みながら様々な考えが巡りました。「痩せているなぁ」「なぜ山から下りてきたのだろう」「銃を怖いものだと分かっているようだった」「一発で仕留められなかった」。なにより、半壊した口元を両手でかばった姿が本当に痛そうで、「痛かっただろうな」「申し訳なかったな」「いや、本当に申し訳ない」と、ずっと謝りたい気持ちが湧き起こり続けました。
駆除されたクマの足
体重40kgほどのオスの成獣でした。人間に例えれば大学生くらいの子だったのでしょうか。最後に食べた桃は、美味しく感じてくれただろうか。今この子の胆嚢は、胃薬として我が家の冷蔵庫に入っています。これは一昨年の夏の話です。私はこれまでクマを駆除で3頭か4頭撃ってきました。明確に思い出そうとすれば記憶を辿れそうなものですが、狩猟とは違い、駆除はどこか人間都合の矛盾を孕んでいるような気がしてならず、あまり思い出したくもありません。
駆除後の深い内省:命への問いかけ
今回のクマ駆除の経験は、一般的な「狩猟」とは異なり、人間社会の都合と野生動物の命との間で生じる深い矛盾を東出氏に問いかけました。彼の記憶の中に明確に残らない「駆除」の経験は、単なる数を減らす行為ではなく、個々の命と向き合うことの重さを示しています。これは、過去最悪のクマ被害が続く日本において、人間と野生動物の共存の難しさ、そして「駆除」という避けられない行為が持つ複雑な倫理的・感情的問題を浮き彫りにしています。私たちはこの問題に対し、どのような解決策を見出すべきなのか、改めて深く考える必要があるでしょう。
参考文献:
- 環境省 クマ類による人身被害状況
- 日刊SPA! / Yahoo!ニュース (オリジナル記事)





