仲代達矢、舞台の巨星逝く:圧倒的存在感と無名塾が遺した財産

日本演劇界に多大な足跡を残した俳優、仲代達矢さんがこの世を去りました。その訃報は多くの演劇ファンに深い悲しみをもたらしています。筆者もまた、仲代さんの舞台を観るためだけに劇場に足を運び、シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』(1993年、1996年上演)では、その圧倒的な存在感に深く魅了され、二度にわたり観劇した経験があります。まさに舞台上に立つ仲代達矢は、共演者のみならず観客をもその世界に引き込む、唯一無二の存在でした。この記事では、彼の舞台にかける情熱、俳優としての哲学、そして次世代に残した偉大な功績を振り返ります。

劇場を支配した「リチャード三世」の迫力

仲代さんの舞台上の存在感は、他の追随を許しませんでした。映画やテレビでも活躍しましたが、彼の真骨頂はやはり舞台にありました。特に西洋演劇の主役を演じる上で、そのはっきりとした目鼻立ちは、メイクを施すとまるでギリシャ彫刻のような顔立ちに見え、さらに178cmという長身は舞台上で見事な映え方をしました。まるで西洋人かと見紛うばかりの立ち姿は、観客を一瞬で作品の世界へと誘ったのです。

彼が衣装をまとい、その大きな目で客席を見据えた瞬間、観客は皆、まるで15世紀のイングランド王リチャードに叱られているかのような錯覚に陥りました。それは仲代さんの演じるキャラクターが持つ威厳と、彼自身の身体から発せられるオーラが融合した結果に他なりません。

また、仲代さんの声は劇場の隅々まで響き渡りました。生前、毎日発声練習とストレッチを欠かさなかったと聞きますが、その鍛え抜かれた声は、たとえ小さな声であっても劇場の後方にまでクリアに届くほどでした。全ての観客がセリフを聞き取れるよう、緻密に声量をコントロールする技術は、まさに熟練の技と言えるでしょう。現代のテレビで活躍する多くの俳優が日常に近い声でセリフを語る中、仲代さんのような発声は、舞台演劇における本質的な力強さを改めて示していました。

仲代達矢さんのポートレート仲代達矢さんのポートレート

共演者を牽引した「機関車」のような演技指導

『リチャード三世』の舞台では、共演者全員が仲代さんに向かって演技をしているかのように見えました。彼は主役として、まさに「機関車」のように共演者たちを引っ張り、舞台全体を盛り上げていたのです。かつて高倉健さんがロバート・デ・ニーロから聞いた話として、「主役は自分の役に専念するだけではいけない。機関車のように共演者を引っ張る演技をしなくてはならない」という言葉を引用していましたが、仲代さんの演技はまさにその言葉を体現していました。

舞台上で若手俳優たちが仲代さんから直接、演技やセリフの指導を受けているような場面も度々見受けられました。彼にとって舞台は、自らの演技を披露する場であると同時に、次世代の才能を育成する教育の場でもあったのかもしれません。

無名塾が育んだ才能:役所広司、若村麻由美ら

後年、仲代さんは伴侶である宮崎恭子さん(故人)と共に俳優養成所「無名塾」を設立しました。無名塾からは、役所広司さんや若村麻由美さんをはじめ、数多くの著名な俳優が巣立っていきました。これは、彼が以前から舞台で主役を演じるたびに共演者を指導してきた経験が、形を変えて実を結んだ結果と言えるでしょう。若い俳優たちにとって、仲代さんと共に舞台に立つことは、最高の学びの機会であったに違いありません。

舞台に捧げた生涯と遺された言葉

仲代達矢さんは、その生涯を演劇に捧げ、舞台上で圧倒的な存在感を放ち続けました。彼の死は日本演劇界にとって大きな損失ですが、彼が残した功績、特に舞台芸術への深い貢献と、無名塾を通じて育んだ多くの俳優たちは、今後も日本の演劇界に計り知れない影響を与え続けるでしょう。

『リチャード三世』の最後のシーンで、彼が発した有名なセリフが、今もなお耳に残ります。

「馬を! 馬をよこせ! 代わりに我が王国をくれてやる!」