【主張】地検また失態 逃がすための保釈なのか

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 同じ失態を何度繰り返せば気がすむのか。社会の安定に尽くすべき司法の、信頼失墜につながりかねない。

 護送中に逃走した男が2日後に大阪市内で身柄を確保された。保釈が取り消され大阪地検が収容していた。

 住民に与えた不安は計り知れない。

 同地検は10月末にも、保釈が取り消されて収容予定だった女の逃走を許している。大阪だけではない。6月には神奈川県で、保釈中に実刑判決が確定した男が横浜地検の収容に抵抗して逃走した。

 何のための保釈か。社会に不安を与えるのなら誤った判断でしかない。この際、保釈のあり方も見直すべきである。

 大阪府東大阪市で逃走した男は、覚せい剤取締法違反などの罪で公判中だった。判決公判に3回連続で出廷していなかったというから、行動に注意を払うべきだったのは当然だろう。男は護送中に「手錠がきつい」と訴え、左手の手錠をはずしたところ暴れて逃走した。地検の対応は甘すぎる。

 地検は男の身柄確保後に謝罪した。度重なる大失態を真摯(しんし)に受け止めているかは心もとない。

 問題は検察だけにとどまらない。保釈が取り消されるなどした被告が逃走する事案は、最近、多発している。

 裁判所が保釈を認める割合そのものが増えた。保釈率は平成29年までの10年間で倍増した。

 背景には、勾留が長期化し「人質司法」と批判されることを避ける傾向があるとみられる。証拠隠滅や逃亡の恐れの程度を考慮して裁判官の裁量で保釈を判断する。しかし、現にこれだけ逃亡が相次いでいる。判断がいいかげんだとしか言いようがない。

 保釈中の再犯が、この10年余りで3倍以上になっているという数字もある。司法が社会を脅かす事態になっていないか。

 被告への予断があってはならないのは当然である。しかし「人質司法」という言葉に気兼ねして司法が社会の安心を守ることをおろそかにするようなら、本末転倒でしかない。逃亡だけでなく再犯の恐れも、保釈を判断する際の要件として議論する必要がある。

 被告の収容に当たる検察事務官が、抵抗する相手に対する訓練を受けていないとの指摘もある。保釈のあり方だけでなく検察の収容態勢の見直しも、急務である。

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