北陸新幹線が長野~金沢間で延伸開業してから、2025年3月で10周年を迎えます。開業当初は「長野新幹線」と呼ばれていた路線も、今や東京から金沢までを繋ぐ大動脈として確固たる地位を築きました。今回は、新幹線開業前に首都圏と北陸を繋いでいた立役者、在来線特急「はくたか」の軌跡を振り返り、その記憶を辿りつつ、未来へのバトンについて考えてみたいと思います。
在来線最速を誇った特急「はくたか」の輝かしい時代
1997年の北越急行ほくほく線開業と共に誕生した特急「はくたか」は、越後湯沢駅と金沢駅・和倉温泉駅を結ぶ列車として、首都圏と北陸を繋ぐ重要な役割を担っていました。踏切が少なく直線状の線路を活かし、在来線特急としては日本最速の時速160キロで走行していました。
在来線特急「はくたか」用の681系(相鉄かしわ台工さんの鉄道コム投稿写真)
当初はJR西日本と北越急行が保有する681系、そしてJR西日本とJR東日本が保有する485系が使用されていましたが、後に北越急行の683系8000番台が登場。これにより、全ての定期列車が時速160キロ運転に対応可能となりました。当時、鉄道ファンからは「白い彗星」の愛称で親しまれ、そのスピードと快適性は多くの旅行者から高い評価を得ていました。鉄道ジャーナリストの山田鉄男氏も「在来線特急の最高峰と言える存在だった」と当時を振り返ります。
新幹線時代へ、そして「はくたか」の精神を受け継ぐもの
2015年3月14日、北陸新幹線が金沢まで延伸開業。在来線特急「はくたか」はその前日、多くのファンに見送られながら惜しまれつつその役目を終えました。最終日には、各駅にファンや沿線住民が詰めかけ、旗を振って別れを惜しむ姿が見られました。まさに、地域に愛された列車の象徴と言えるでしょう。
在来線特急「はくたか」の最終日に列車を見送る人たち
「はくたか」の名称は北陸新幹線に引き継がれ、新幹線「はくたか」として現在も首都圏と北陸を繋いでいます。また、在来線最速の称号は京成成田スカイアクセス線の「スカイライナー」が受け継ぎ、時速160キロ運転を実施しています。
ほくほく線のその後と「スノーラビット」の登場と終焉
「はくたか」が去ったほくほく線では、その精神を受け継ぐ超快速「スノーラビット」が登場しました。途中停車駅は十日町駅のみという、特急並みの速達性で注目を集めました。「スノーラビット」という名称は、北越急行所有の681系・683系の車両愛称と同じであり、まさに「はくたか」の意志を継ぐ存在でした。
しかし、2023年のダイヤ改正で「スノーラビット」は廃止。普通列車の最高速度も時速95キロに引き下げられました。時代の流れと共に、ほくほく線の役割も変化していると言えるでしょう。
未来への展望:北陸新幹線と地域の活性化
北陸新幹線は2024年に敦賀まで延伸開業し、今後さらに西へと延伸される予定です。新幹線網の整備は、北陸地域の更なる発展に繋がる重要なプロジェクトです。かつて「はくたか」が担っていた地域間の繋がりは、新幹線によってより強固なものとなり、人々の交流や経済活動の活性化が期待されます。
かつての「はくたか」の記憶を胸に、北陸新幹線が未来へと繋ぐ新たな物語に注目していきましょう。