オーストリアの巨匠グスタフ・クリムトが描いた、西アフリカ・ガーナ出身の王子を描いた肖像画が、約1世紀ぶりに日の目を見ることとなりました。1897年に制作されたこの作品は、長らく行方不明とされていましたが、2023年に発見され、修復を経てついに公開。今回はこの幻の作品について、その歴史や背景、そしてクリムトの画風への影響など、詳しく掘り下げてご紹介します。
1世紀の時を経て発見された幻の肖像画
1897年、ウィーンで開催された「民族ショー」で描かれたとされるこの作品は、ガー族のウィリアム・ニー・ノルテイ・ドウォナ王子をモデルにしています。「民族ショー」とは、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパで流行した、植民地主義時代の民族誌展覧会のこと。美術史家アルフレート・バイディンガー氏の調査によると、王子の出身地であるガーナのオスから多くの人々がウィーンを訪れ、展示の対象となっていたそうです。肖像画は依頼制作の可能性が高いものの、最終的にはクリムトの手元に残ったとされています。
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この作品は、高さ約61cmの小品で、淡い花柄を背景に、王子の横顔が描かれています。2023年、2人のコレクターからの連絡を受け、ウィーンの画廊「ビーナーロイター&コールバッハー(W&K)」が作品を発見。額装された絵は汚れが目立ち、クリムトの所有印もかすかにしか確認できない状態でしたが、バイディンガー氏の鑑定により本物と確認されました。
長い旅路の果てに:肖像画の辿った数奇な運命
この肖像画は1923年にクリムトの遺産から競売にかけられ、1928年にはエルネスティーネ・クライン氏によって展覧会に出品されました。エルネスティーネ氏と夫のフェリックス氏は、クリムトのアトリエを邸宅に改装した人物としても知られています。ユダヤ人であった夫妻は、第二次世界大戦直前の1938年にウィーンを離れ、モナコへ逃亡。その後、作品は行方不明となり、2023年に再発見されるまで、その所在は謎に包まれていました。大規模な修復作業とクライン氏の相続人との返還交渉を経て、ついに一般公開されるに至ったのです。
クリムトの画風の変遷を垣間見る
バイディンガー氏によれば、1897年に制作されたこの肖像画は、後年のクリムト作品の特徴である装飾的な要素への移行期を示す重要な作品とのこと。代表作である「接吻」のような金箔を多用した装飾的なスタイルはまだ見られませんが、後の傑作へと繋がる萌芽を感じることができます。
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美術史における新たな発見
今回公開されたガーナ王子を描いた肖像画は、クリムトの初期作品を知る上で貴重な資料となるだけでなく、当時のヨーロッパ社会における植民地主義の影を映し出す歴史的資料としても大変意義深いものです。クリムトの芸術性と歴史的背景が交錯するこの作品は、美術愛好家のみならず、多くの人々の心を掴むことでしょう。